まあ、ネタ程度の話しですが。
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL 4巻
illusion:vii 「胸毛の黙示録」 脚本:萩田寛子
illusion:viii 「てけてけラヴェンナ」 脚本:水島努
絵コンテ・演出:山本寛 作画監督:池田和美
ヤマカンの演出が色濃く見れるのは8話ですね。この構成の仕方はデラックスのヤマカン回に似てるなぁ。前半がギャグで後半が女の子の話というか拘りを見せてくる演出。8話のラヴェンナに肉迫した話は正にって感じ。この回で水島努さんが脚本やってるのは何か狙ってたのかな。京アニ内部で脚本を起こすようになったのは水島さんの影響とかがあるんだろうか。まあ、木上さんが既にMUNTOで脚本やってましたけど・・・。8話はラヴェンナがお使いに行って先々で奇妙な人たちに遭遇していくお話。これも何か元ネタがありそうな感じなんだけど、わからない。ヤマカンが映画批評してたページがあったんですが、そこも今日ぐらいから見れなくなりましたし。ヤマカン演出のネタ探しにはうってつけだったのに残念。
鏡を使ったカットに自然と注目してしまいます。ヤマカンの鏡を使った演出としてはフルメタTSRが有名ですが、それとはちょっと意図が違う使い方かなぁ。日記を書くところの固定かカメラなどで細かい芝居をしれるなど女の子らしさを演出するのに余念がないのがヤマカンらしい。魅力を全て見せ付けようとする実写的なイメージ。
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL 7巻
illusion:xiii「硝煙は口紅(ルージュ)の香り(前編)」 脚本:横手美智子
illusion:xiv「硝煙は口紅(ルージュ)の香り(後編)」 脚本:横手美智子
絵コンテ・演出:武本康弘 作画監督:米田光良
最終巻がグロスでいいのか!と思った。
暗殺されそうになるウェダ。銃弾で割れた鏡に顔を覗かせるウェダ。何を考えてるのか気になるところ。基本ギャグなのでシリアスな面をいれようとすると妙に浮く。内容と剥離した感じのカット。これはフルメタTSR同様武本さんの持つ矛盾なんじゃないかなぁ、と思った。笑わせたいけどシリアスに。シュールな面を出そうとして失敗したイメージとはまた違うんだけど、根本が暗いと笑えないんですよね。割れた鏡にうつる自分というのは、自分自身が欠落して見えるからマイナス的なイメージ。だからこの後のギャグが合わなくなる。こういったキャラクターの虚構性を映像で表現しようとしてるのはアニメーションの核となるアニメーター出身の武本さんだからか。アニメーション自体が虚構なのだから虚構の中の虚構は逆説的にリアリティを持ってくるのである、って書いたらそれっぽくなりますか?アニメが虚構である、その辺りをよく知ってるから武本さんは面白いんだと思う。ソウルテイカーの演出チーフを務めただけのことはある。あのBL影やカラフルに散りばめられた画面を活かすやり方をとれるというのは強いと思う。それだけ画面に幅のあるものを持たせられるという証明にもなると思うし。
結構適当なこと言ってるなぁ。
ヤマカンと武本さんの鏡を使った演出はフルメタTSRでも見れる。
ハレグゥFINALで思いついた構成じゃないかなぁ、と勘ぐってみる。
Scene06「エッジ・オブ・ヘヴン」
脚本・絵コンテ・演出:山本寛
作画監督:池田和美
Scene13「つづく日々」
脚本:賀東招二 絵コンテ・演出:武本康弘 演出補佐:坂本一也
作画監督:堀内修 メカ作監:北之原孝将 作監補佐:米田光良、門脇聡
かなめと過ごす京介とかなめを失った京介。かなめを失ったことで、自分自身の心、自分の一部が無くなった喪失感を上手く出してる。演出で、2人の持ち味が活かされているのがわかる感じ。また6話の演出と最終話の演出を繋げて来る様な全体の構成に痺れます。こういう点は武本さんが強いなぁと思いしました。ハルヒでシャッフルという手段を選んだヤマカンと比べてみるのもちょっと面白い。この鏡の演出を見てると、2人の演出スタイルも鏡のようになって似ていて、それでいて全く方向性が違う。そういう部分が凄く面白いなぁ、と今回見てて思いました。
あと鏡について考えてたらフルメタTSRでずっと疑問だった演出の解釈ができたんでそれも。
日本に帰ってきた2人が最後に電車で帰るシーン。キャラの距離感を出す演出が武本さんらしいんだけど、2人が正面向いてるのが凄く気になったんですよね。なんでラストでこんなカットを用意したんだ?と疑問だったんですが、鏡を意識して見ると、ここはもしかして2人は反対側の窓に映りこんだ自分達を見ているのではないか、という解釈ができるんですよね。そういう描写はされてませんが、また一緒に帰れる喜びや同じ風景を見れるという感動に、自分達が一緒にいられるという事実を2人は反対側の窓から見ているのではないか。そう思うんですよねぇ。アッサリしたラストだったなぁ、と思いましたが以外に多くのことを語っていた映像だったんだなぁと思ったり思わなかったり。
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL 4巻
illusion:vii 「胸毛の黙示録」 脚本:萩田寛子
illusion:viii 「てけてけラヴェンナ」 脚本:水島努
絵コンテ・演出:山本寛 作画監督:池田和美
ヤマカンの演出が色濃く見れるのは8話ですね。この構成の仕方はデラックスのヤマカン回に似てるなぁ。前半がギャグで後半が女の子の話というか拘りを見せてくる演出。8話のラヴェンナに肉迫した話は正にって感じ。この回で水島努さんが脚本やってるのは何か狙ってたのかな。京アニ内部で脚本を起こすようになったのは水島さんの影響とかがあるんだろうか。まあ、木上さんが既にMUNTOで脚本やってましたけど・・・。8話はラヴェンナがお使いに行って先々で奇妙な人たちに遭遇していくお話。これも何か元ネタがありそうな感じなんだけど、わからない。ヤマカンが映画批評してたページがあったんですが、そこも今日ぐらいから見れなくなりましたし。ヤマカン演出のネタ探しにはうってつけだったのに残念。
鏡を使ったカットに自然と注目してしまいます。ヤマカンの鏡を使った演出としてはフルメタTSRが有名ですが、それとはちょっと意図が違う使い方かなぁ。日記を書くところの固定かカメラなどで細かい芝居をしれるなど女の子らしさを演出するのに余念がないのがヤマカンらしい。魅力を全て見せ付けようとする実写的なイメージ。
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL 7巻
illusion:xiii「硝煙は口紅(ルージュ)の香り(前編)」 脚本:横手美智子
illusion:xiv「硝煙は口紅(ルージュ)の香り(後編)」 脚本:横手美智子
絵コンテ・演出:武本康弘 作画監督:米田光良
最終巻がグロスでいいのか!と思った。
暗殺されそうになるウェダ。銃弾で割れた鏡に顔を覗かせるウェダ。何を考えてるのか気になるところ。基本ギャグなのでシリアスな面をいれようとすると妙に浮く。内容と剥離した感じのカット。これはフルメタTSR同様武本さんの持つ矛盾なんじゃないかなぁ、と思った。笑わせたいけどシリアスに。シュールな面を出そうとして失敗したイメージとはまた違うんだけど、根本が暗いと笑えないんですよね。割れた鏡にうつる自分というのは、自分自身が欠落して見えるからマイナス的なイメージ。だからこの後のギャグが合わなくなる。こういったキャラクターの虚構性を映像で表現しようとしてるのはアニメーションの核となるアニメーター出身の武本さんだからか。アニメーション自体が虚構なのだから虚構の中の虚構は逆説的にリアリティを持ってくるのである、って書いたらそれっぽくなりますか?アニメが虚構である、その辺りをよく知ってるから武本さんは面白いんだと思う。ソウルテイカーの演出チーフを務めただけのことはある。あのBL影やカラフルに散りばめられた画面を活かすやり方をとれるというのは強いと思う。それだけ画面に幅のあるものを持たせられるという証明にもなると思うし。
結構適当なこと言ってるなぁ。
ヤマカンと武本さんの鏡を使った演出はフルメタTSRでも見れる。
ハレグゥFINALで思いついた構成じゃないかなぁ、と勘ぐってみる。
Scene06「エッジ・オブ・ヘヴン」
脚本・絵コンテ・演出:山本寛
作画監督:池田和美
Scene13「つづく日々」
脚本:賀東招二 絵コンテ・演出:武本康弘 演出補佐:坂本一也
作画監督:堀内修 メカ作監:北之原孝将 作監補佐:米田光良、門脇聡
かなめと過ごす京介とかなめを失った京介。かなめを失ったことで、自分自身の心、自分の一部が無くなった喪失感を上手く出してる。演出で、2人の持ち味が活かされているのがわかる感じ。また6話の演出と最終話の演出を繋げて来る様な全体の構成に痺れます。こういう点は武本さんが強いなぁと思いしました。ハルヒでシャッフルという手段を選んだヤマカンと比べてみるのもちょっと面白い。この鏡の演出を見てると、2人の演出スタイルも鏡のようになって似ていて、それでいて全く方向性が違う。そういう部分が凄く面白いなぁ、と今回見てて思いました。
あと鏡について考えてたらフルメタTSRでずっと疑問だった演出の解釈ができたんでそれも。
日本に帰ってきた2人が最後に電車で帰るシーン。キャラの距離感を出す演出が武本さんらしいんだけど、2人が正面向いてるのが凄く気になったんですよね。なんでラストでこんなカットを用意したんだ?と疑問だったんですが、鏡を意識して見ると、ここはもしかして2人は反対側の窓に映りこんだ自分達を見ているのではないか、という解釈ができるんですよね。そういう描写はされてませんが、また一緒に帰れる喜びや同じ風景を見れるという感動に、自分達が一緒にいられるという事実を2人は反対側の窓から見ているのではないか。そう思うんですよねぇ。アッサリしたラストだったなぁ、と思いましたが以外に多くのことを語っていた映像だったんだなぁと思ったり思わなかったり。