映画も見てきたので。
最後に京本の部屋に入って出ていくとき、なんで部屋から出る様子を描写しないのかなと思ったけど、
エヴァ以降、外に出ろを数多く発信してきたアニメ界だからそう感じたのかな。
考えて見れば絵を描く姿を見せるなんて極めてプライべーなもの。
そんな姿を一心不乱に見せる今作は狂気の作品と言える。
京本の部屋っていうのはそういうプライベートの極致という位置づけで、
人間の内側へと入っていく作品だったんだなと改めて感じたな。
最後に窓に4コマを貼り付けますけど、窓から見る景色にフレームを配置する、
その異物感こそが漫画の醍醐味であるように感じる。
新しい世界の窓を作る、という意味合いで。
ただ今作の藤本は外を見れるようにして漫画を描いているけど、
多くの漫画家、そして今作に参加されているアニメーターがそうであるか、
と言われると割と疑問で、
この部屋の中から外が見えるようにして描いていることの意義、
っていうのを意識してしまったな。
特に映画館だとスクリーン以外は見ないわけで、
漫画のコマの外の世界っていうのは見えないわけで。
映画というのは意図して世界に浸れる世界であり、
内面に触れるプライベートな世界で、
我々が『ルックバック』という映画を見る後ろ姿を誰かが見ているのかもしれない、という予感を感じさせられたな。
作品を描く意義があるように、作品を見る意義も当然あるわけで。
藤本だって京本の作品に触れて、描き始めているわけですからね。
まだ消化不良感ありますが、
とりあえずこんなとこで。
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