2012.9.6(木)曇、雨
別所という地名は実に数多くあり、全国にまたがっている。薩摩と飛騨には無いとされているが、もちろん北海道、沖縄にも無いのだろう。そしてよみもおそらく”べっしょ”と統一されているのだろう。このことは広範囲に普遍的な意味を持つ地名であることは確かである。柴田氏も音読みの「別所」は官符のものだろうと書いている。
また蝦夷の俘囚を関東以西に移配したことも、各種の文書で明らかである。
とまあここまでは理解できるのだが、蝦夷の俘囚(捕虜)を移配した地というのはどうも確実な証拠が示されていないのだ。
わたしが本書に示した疑問について、何れもはっきりとした答を見つけられないのだが、そのうちの東光寺と白山神社信仰についてみてみよう。
菊池氏の論考として上げられているものの中に
第七に近畿以東の別所の鎮守は決まって白山権現である。
第九に別所には多く慈覚大師建立の寺(薬師堂)がある。東国ではそれを東光寺と称えることが多い。云々
とあり、柴田氏はこれ等の論考を肯定するという書き方で、読者としては柴田氏の説かなと思えば実は菊池氏の説として書かれているのでわかりにくい。
上記近畿以東というのは近畿も含まれるのだが、内容を読んでいくと近畿は含まれないようで、東海以東と言うべきかなという気もする。
長野県上田市別所温泉は2006年8月18日訪れた。別所神社はもと熊野社である。東光寺ではないが、常楽寺の北向観音堂は慈覚大師の開創といわれている。
別所には東光寺と白山神社があるという風に盛んに出てくるのだが、それは主に東国であって近畿以西にはさして見当たらないのが実情では無いだろうか。現に丹波の別所を見ていてもそれらをまだ見つけられない。むしろ別所では無いところに見つけられたりする。
京丹波町井脇別所に祀られていたのは稲荷神社だった。京都縦貫道の工事中で、仮住まいされていた。(2012、7、31)
このことは厳密に調査したわけでは無いのであまり大上段に言えることでは無いのだが、仮に別所と東光寺、白山神社が関連あるとしても、そのことと蝦夷俘囚の移配地と言うこととどう関連するのかを知りたいものである。つづく
【晴徨雨読】37日目(2006.9.6)志津温泉~新庄
暑かった夏がすっかり終わり、強烈に寒い旅立ちとなった。月山登山という大きな目標を終えて、なんとなく無気力な走行をしてしまった。R347は走りやすい道だが、田んぼの中の一本道という感じで、目的を持たない走行には向かないコースだった。R13の天童、東根、村山、尾花沢の街々を通っていれば、どこか面白いところに泊まっていたかもしれない。今から思えばR347は魅力的に思うのだが、この日はただ走るだけの日だった。
こういう感じの道で、走るだけなら最高の道。
【今日のじょん】:散歩行きがけに先日の猿出没地点に寄った。何事も無く念道橋まで行って帰ってくると、立ち止まって眼で合図する。面倒だなと思ったが、犬に引かれて善光寺参りとばかりに再度坂を登って行くと、いるわいるわ、猿の大群だ。
じょんと二人で行くと、大騒ぎで逃げて行く、それにしてもじょんの嗅覚というか猿感は素晴らしい。臭いなのか声なのかそれとも第六感なのか。
猿ものは追わず、一瞬に逃げてしまった。