晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 三和町菟原中(2) 9/15

2012-09-15 | 晴徨

2012.9.15(土)晴れ、曇

 岼から府道59号線を下川合まで下り、三和ダッシュ村のところを左に入る。この道は実は府道709号線で、長宮峠の道も府道709号線なのだ。綾部中山線というそうだ。川合から千束(せんぞく)、菟原(うばら)に行くには絶対に近そうだ。中学校時代は自転車通学だったので、月に一度ぐらいはこの道を通っていた。なぜいつも通らないかというと、新しく開鑿された道は地道で、おそろしく尖った岩が道に埋まっていたのだ。パンクでもした日には大変なのでそうそう走れなかったのだ。もちろん府道も地道だったが、車が走るため表面はきれいにならされていた。それでも景色は良かったし、アケビなど採ることも出来たのでたまに通っていたわけだ。そんな道だから今では荒れて走れないのじゃないかと不安になったが、入ってみてびっくり、鋪装はされていて、車の通行もある。
 少し行くとそう古くは無さそうだが二体の地蔵さんがある。やはり古の通行はあったわけだ。P1020714
 
下川合から少し入ったところにあるお地蔵。



 寛政十一年の丹波大絵図には先程の長宮峠の道もこの道も掲載されていない。街道としては国道173号線、府道59号線が主要だったようだ。
 やがて土師川を渡って辻に出る。そのまま国道を渡って脇道に入ることもできるが、少し国道を走って、府道710号線を走る。国道9号線の喧噪が嘘のような静かな良い道だ。この道も丹波大絵図には載っていないが、主要な道だったのだろう。随分趣のある道標が柏田というところに大切に保存されていた。P1020716
 
「右 
さ々山道 左 市」とある。市は小字市場のことだろうか。
(これは後日「左 京」と判明、失礼) 



 菟原下に入ると鶏糞の臭いがしてきた。目的の別所はこの養鶏場のあるところだそうだ。
 解るところから見ようと、影清稲荷に行く。鳥居や水鉢に入った銘を探しながら進んで行くが、草が茂っていて気味悪い。本殿はともかく摂社で思わぬ発見をする。三つある摂社の内、小〇稲荷と不寝(ねず)大明神は知っていたのだが、右の一社が毘沙門天を祀っていることだ。これらのついての考察は別稿に譲るとして、山の上部に見えている龍源寺に行くことにする。P1020717
 
菟原の郵便局の前を南に入ったところに景清稲荷はある。



P1020720 Img_0660_2

出来上がった観光地は何の魅力も無い。



【今日のじょん】:先日ご案内のダイコーの長布団、じょんは気に入らないようなので一晩おとーが使ったが、翌日から何事も無かったように使っている。一体何やったんや。P1020742

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晴徨 三和町菟原中(1) 9/14

2012-09-15 | 晴徨

2012.9.14(金)曇

 10:35  じょんのびスタート~山家~田野町
 11:37  田野町長宮(長宮峠下19,3Km)、府道709号線
 12:11  三和町岼長宮(22,7Km)
 12:22  岼渋谷神社昼食
 12:35  渋谷神社スタート~下川合から梅原に向かう府道709号線~R9~         府道710号線
 13:15  菟原中影清稲荷着(34,2Km) 龍源寺等訪問
 14:32  菟原小学校スタート(35Km)質山峠経由
 16:43  じょんのび着(67Km)

 丹波の数ある別所のうち、予想外の位置にあった菟原中(うばらなか)の別所を調べてみたいと企画する。上記コースタイム表を見て貰えば分かるとおり、いわゆる間道を走るコース設定になっている。幹線道路の国道などが整備され、もっぱら通行は幹線道路に偏り、これ等の間道、脇道は忘れ去られ、苔むした道となってくる。しかしながら近世はもちろん、モータリゼーションが発達するまではこれ等の道が主役であり、距離的には絶対に有利であると思うのだ。
 綾部に行くのは山家に出て、由良川左岸の道を走っている。国道27号線ができるまではこの道が主役であったし、とにかく車が少なくて走りやすい。もちろん信号は一つも無い。
 長宮峠越えは軽トラで走ったことがあるが自転車ではお初なので少々不安。昨年グランファンド京都でコースになったのだが、今年はコース変更の噂も聞いている。植林の中で、苔も生え滑りやすいということもあるが、長宮不動までの道は直登でMTBでもギヤが足りない。ロードレーサーではかなりつらいと思う。長宮への下りも急坂で帰路に走ろうとは思えなかった。この道は綾部藩の役人が通った道でもあるという。川合は元より三和町の多くの地域が綾部藩領であったということだ。わたしは小学校のとき遠足でこの峠を越えている。

P1020703 P1020704
 



左:田野町から長宮峠方面  右:長宮不動尊、本来の峠道は右手の尾根を登っているようだ。

P1020705P1020706P1020707_2 




左:一箇所だけ綾部方面の展望が開ける。
中:林道の長宮峠、本来の峠もこの附近にあるはずだけど。
右:岼の長宮集落、本来の峠道はこの集落を抜けて行く。

広く快適な道を岼に向かって下って行くと左に上川合稲葉(いなば)への道を分ける。稲葉へは2007年に空き家見学に行ったが、なんとも山奥で驚いた。その家も今では入居者がおられ、小学生も居られるそうだ。稲葉というのは「地名の語源」(鏡味完二他)によると「稲架の普及前に、稲干場とした所で、平素は芝草地になっていた」とある。イナバという所もあるので、そこが日当たりの良い、それらしい場所ならば、そう言えるかもしれない。
 イナバは鋳場の意味で金属地名とされる研究者もある。
 稲葉口から岼(ゆり)の間、家々の庭石や石垣を見ていると大きなチャートが目立つ。特に赤色チャートがふんだんで、本場の上林をしのいでいる。この道の東側の山に廃鉱跡があった。小学生の時に探検に行ってコウモリを捕ってきたのを憶えている。おそらく珪石鉱山だったのだろう。P1020708 P1020709
 



常楽寺、渋谷神社の石垣には赤色チャートが多く使われている。


 チャートと金属鉱脈との関係は如何なるものか解らないのだが、何かあるのではないかと想像している。Img_0652

大盛館、荒川鉱山跡はここから2キロ余り、行けば良かった。


松田解子のおりん口伝は荒川鉱山が舞台だとか、まだ読んでいない。

【今日のじょん】:お出迎えじょん。お帰りなさいと喜んだが、車庫入れのため又出て行かれて白けている。

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YouTube: お帰りのはずが

 
 

 

 
  

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