2012.9.10(月)曇、雨
別所が蝦夷の俘囚の移配地であるというのは明確な証拠が打ち出されていないというのが、わたしがこの本を再度読んだ末の結論だが、別所が産鉄、あるいは金属生産に関連ある地というのは概ね納得できることのようだ。証拠は具体的に鉱山やたたらの遺跡が出ているところと、そういうものが見つかっていなくとも地名や神社寺院などから推察される信仰など民俗学的な証拠が揃っている。
ここで柴田氏の研究の集大成とも言うべき、「全国別所地名事典」上下巻について書いておこう。
同じく彩流社から2007年に出版されている。全国621箇所の別所について豊富な地図、写真を駆使し、歴史や民俗史料、金属関連の資料を網羅した別所地名悉皆調査事典である。氏が15年の歳月を掛けて、実地に全国の別所を足で調査されたそうで、超大作と言ってよいだろう。中身も濃いものがあるが書籍自体もすこぶる大きく分厚くて、値段も各9,975円とわたしには手も出ない。図書館で探すが、館内閲覧となっており借りることは出来ない。やむなく図書館に通って読んでいるのだが、とても驚いたことがいくつかあったので、エピソードとして紹介しておこう。
事典を読んでいるのは丹波、丹後、若狭など近隣のところなのだが、まず丹波のところで、わたしの書いていることとまったく同様のことを書いておられるので驚いたのだ。柴田氏には大変失礼なんだが、わたしのブログを読んで書かれたのかと疑ったぐらいなのだ。慌てて発行年度を調べ、真似しているとしたらわたしの方だと知った。
そのひとつが、ユリ地名のことだ。「遊里のこと」(1)~(15)として2010年4月12日から8月13日まで書いているのだが、岼、遊里、由里などで表されるユリ地名が淘汰(鉱石の選別)からくる金属関連地名ではないかという説である。
水の作用で土地が平になったところという柳田国男氏などの地形説が一般的で淘汰からくる金属説はわたし以外に誰もいないだろうと思っていたのだ。ところがわたしよりも先にこのことを書いておられる柴田氏の別所地名事典には正直驚いた。
畑口川流域、遊里方面。
わたしはむしろ丹波のあらゆるところにユリ地名を発見するに至って、ゆり=金属関連地では無いことを次の説として書く準備をしているところでもあるのだ。
その次が同じく「遊里のこと(5)」(2010.4.21)に国道9号線沿い桧山の鼓山(つづみやま)には鉱山があるだろうという予測の記事を書いていたら、別所地名事典にはしっかり、マンガン坑があると書かれているのだ。
そして今ひとつは綾部市を流れる犀川(さいかわ)のことである。つづく
【晴徨雨読】41日目(2006.9.10)酒田~本荘
今日も芭蕉と森敦とのお付き合いである。吹浦(ふくら)という小さな町が小説や俳句によってここまで印象深い街になるのだから不思議である。吹浦を過ぎた辺りで夕立に遭い、夜までぐずぐずと降った。そしてそれが暑い夏の終わりであって、この後は涼しくなったり寒くなったりの旅となるのである。
吹浦の外れで撮った写真。右手の半島は男鹿半島か。
【今日のじょん】:新じょん語録7 重たいか
既に公開済みの語録なんだが、記録された日に見つからないので再度御紹介。「重たいか~」といって頭を乗せられると、超めーわくそーな顔をする。二,三回やるとすたこらと逃げてしまう。
黒いのはおかーの頭デス。