晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(6) 菟原中⑤ 9/24

2012-09-24 | 歴史・民俗

2012.9.24(月)曇

 不寝大明神が近年まで別所に存在したということは、どのような人々になぜ祀られていたかということが問題になってくる。現在の位置、コウドの森にある限りは関所、番屋の神として考えてよいのだが、別所の地となるとそうはいかない。別所の地は街道からははずれており、街道に伴う関所、番屋とは無縁である。人々は訳もなく祭神を祀るとは思えないし、ましてや不寝大明神などポピュラーでない祭神となるとなおさらであろう。
 タタラの火を見守るために寝ずに頑張るタタラ職人の信仰という柴田氏の説も無きにしも非ずということになるが、いずれにしても不寝番に由来するものだろうと思う。柴田氏が言うように蝦夷俘囚がここに移配されていたとしたら、その管理監督に当たる人が居たはずで、彼らは不寝番をしていたと考えられる。しかしそれならば、全国各地の別所に不寝大明神が祀られていそうだ。知る限りではそのようなことも無さそうなので、これも可能性が薄い。
 もうひとつ菟原村史にある、四道将軍が寝ずにかがり火を焚いたという伝説のことだが、これは完全に既に存在する不寝の森、不寝大明神に対する付会であると考える。仮にそういう事実があったとしても、不寝大明神を祀り、信仰していくその地の住民にとっては何の関係も無いことだからである。
 とにかく別所の不寝の森にあった不寝大明神については謎である。P1020725

不寝大明神 
元々ゴウドの森にあったなら不思議では無いのだが、、。



 影清稲荷大明神については、藤原影清が自ら両眼をえぐって盲目であったという伝説から、鍛冶神として祀られたという説はある程度信頼できる。それ以外に影清を祀る理由が見当たらないからだ。
 以前に龍源寺も影清稲荷も宝篋印塔も別所から移転してきたという旨のことを書いた。「別所地名事典」の内容からそう書いたのだが、三和町史その他の文献からそのようなことは見当たらないし、龍源寺の住職も明言はされなかったがいぶかしい顔をしておられた。P1020738

金昌山龍源寺。



  地元の滝本氏も不寝大明神が別所から移転してきたことは明言されていたが、龍源寺、影清稲荷についてはそのような話は聞いたことがないということだった。「別所地名事典」を読み誤ったかと思い、何回も読み直すことにした。つづく

【晴徨雨読】55日目(2006.9.24)快晴 嶽温泉~鰺ヶ沢~十三湖~小泊
津軽半島の湿原地帯を北上する。なんとも寂寥感漂うところで車も通らないし、こんなところで行き倒れにでもなったらそのまま風化するかなあなんて気になる。
十三湖は歴史的にも重要な場所で、もう少し到着時間が遅かったら一泊していたところだ。今から思えば無理にでも泊まれば良かった。
Img_0834
ベンセ湿原(津軽半島)から岩木山


Img_0844

小泊の夕日、すっかり秋になった。


【今日のじょん】:ど根性さといも
コンクリートの河床から生えている里芋、周りの雑草が無ければ綾新ものなんだが。P1020813

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする