晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 鉄と俘囚の古代史(再読-6) 9/11

2012-09-11 | 雨読

2012.9.11(火)雨、曇

 犀川(さいかわ)は綾部市の志賀郷、物部、豊里などを流れ小貝町で由良川に合する川である。金沢の犀川は室尾犀星で有名だが、結構各地にあって、綾部の近くでも宮津市にある。Img_4563

犀川、小貝橋から。この先で由良川に合する。



 綾部市の犀川についてわたしはサヒ川、つまり鉄の川と言ってきた。(遊里のこと (10)2010.5.30他)そして、柴田氏も「全国別所地名事典」の丹波国の別所のなかで次のように書いている。

 さきの阿須々伎神社が「金宮大明神」とも言われること、そしてその元宮があった所が「金が峰」で、そこから流れ出る川が「犀(サヒ=鉄)川」であり、そこが金河内という名の村落であること云々Img_2043

金河内町(かねぐちちょう)阿須々伎神社の茗荷神事。(2009.2) 



 金属地名の研究者なら誰でも「犀川=鉄川」と言うだろうし、わたしの言っていることが著名な先生にも同意されているという自負のようなものも沸いてくるのだが、実は「犀川=鉄川」に疑問符が着くような説を見つけたのだ。それは綾部市史上巻中世編第二節 何鹿の国人の中の上原氏に関する文章である。(P183)

 上原氏 前に述べたように上原氏は信州諏訪出身の関東御家人であり、何鹿郡物部に地頭として入ったものである。諏訪神社をまつったことや、物部を流れる川を犀川と名付けたことなど、いずれも上原氏の出身を説明するものである。

 と書かれている。諏訪神社と犀川についてどのような史料からとられたのか解らないが、このことが事実であり単に故郷の川を懐かしんで犀川と命名されたとしたら、犀=サヒ=鉄などという解釈は無意味なこととなる。柴田氏はここまで調べておられるのだろうかと老婆心ながら考えてしまう。
 この三点がわたしには驚きだったのだが、鼓山の件は柴田氏の資料ははっきりしたものであるし、わたしの予想が当たっていたことがはっきりして大変嬉しい。
 ユリ地名についてはわたしのオリジナルであると思っていた説が、随分前から考えておられたことに敬意を感じる。同時にわたしのアイデアもまんざらではないなと思うのだが、ユリ地名はそれをもって金属関連地であるとは言いきれないと考えている。そのことについては、綾部市の犀川についても別稿で述べたいと思っている。
 犀川については、上原氏が名付けようと名付けまいと、サヒ川であると考える。一般的な考え方で鉄の川と言われたのだと思うが、現実にも鉄の川であるとわたしは考えている。つづく

【晴徨雨読】42日目(2006.9.11)由利本荘~秋田市
 おけさおばこラインという国道7号線を北上する。旅行が終わってから本ブログの検索件数で「おけさおばこライン」というのは大変多かったのだが、ここ数年はほとんど無くなっている。震災の影響もあるのだろうか。
 砂混じりの西風が常に吹いていて、左は白波の海、右は風に耐えている低い灌木の山と殺伐とした景色が何十キロとつづく。車でドライブするのは楽しいかもしれないが自転車ではつらいだけの道だ。Img_0609 Img_0610

左は海、右は山、そればっかし。



【今日のじょん】:爪切りと肛門腺出しのため舞鶴のキャドックさんに行く。恒例の白糸濱神社の植木市とダイコーに寄る。P1020692

爪も肛門腺もスッキリ。


 ダイコーでは半額になった長布団を買って貰う。ところが布団大好きなのに、座らないのだ。無理やり座らせるとイヤ~な顔している。ひとが座っていたらすぐ自分のものにするので、とりあえずおとーが座ることにする。P1020694
 
いきなり座らせたらイヤそー。

コメント
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