晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(10) 菟原中⑨ 9/29

2012-09-29 | 歴史・民俗

2012.9.29(土)曇   別所探訪(9)は2012.9.27(木)

 現地調査をして、聞き取りをすることがよくあるのだが、その際気をつけなければならないことがある。
 冷静に聞き取ること。特に自分自身の仮説や予想がある場合は勝手な判断をしがちである。
 話を聞いたら、すぐに検証すること。現場確認できることがらはすぐ確認する。
 一人の話でなく、複数の人に聞くこと。
 特に伝説や過去の時代の事柄を聞くときは、誇張や年代判断に気をつけること。
 誘導的な質問はしないこと。
 
 などなど色々あるが、今回「不寝の森」の聞き取りについてわたしの早合点か、聞き取った方の思い違いかでその位置が二転三転することとなった。
 
 当初、不寝大明神のお札を影清稲荷の摂社の祠に見つけたとき、不寝大明神は影清稲荷、つまりゴウドの森に以前からあるものと思った。
従って不寝大明神はゴウドすなわち土師川の渡しにあると考えてよい番屋の神として考えられるとした。P1020842
 



ゴウドの森に祀られる小姓稲荷(右)と不寝大明神、小姓稲荷は勧請の経緯から年月まで判っているのだが不寝大明神は謎である。

 「別所地名事典」では、福林寺での聞き取りにより景清稲荷の祠は別所から移したのものであり、その祠の中に不寝大明神のお札があるので、不寝大明神も別所にあったものとされているようだ。ただ不寝の森の位置については書かれていなくて、これは確認できなかったのだろう。

 二回目訪問の際、不寝大明神は別所から移転してきたものと聞く。時はそれほど古い事ではないと聞く。
 不寝大明神は街道沿いの関所や番所で祀られている神、すなわち不寝番という意味を考えていたわたしは、ここで訳が解らなくなった。別所は街道沿いではなく、街道とは孤立した場所にあるからだ。柴田氏のタタラ師説や俘囚を管理監督した番屋などという説まで浮上してくる。しかし結局別所の不寝大明神は謎と言うことにしていた。
 この時バンド坂とバンド地蔵について目にする。バンドを番戸と解いて番小屋は川を渡ったバンド坂にあったのではと想像する。しかしその際にバンド地蔵を作製した職人が関東、つまり坂東の人間では、、と考えたことが後に活きてくることになるのだ。P1020851_2

バンドの地蔵さま、でか顔でユニークなお地蔵さま、ご利益は相当のものだとか、、、。 



 「丹波路が謎であるのは 霧が深いせいだと思う、、、」という春木一夫氏の言葉はわたしの最も好きな言葉の一つである。この季節になるといつも思うのであるが、いくら深い霧であっても昼頃になれば必ず晴れてくるのである。その時には何が何だか解らなかったものが、ああこうなっているのかと恐ろしく単純に理解できるのである。丹波の霧が晴れるような事件が起こった。つづく

【晴徨雨読】60日目(2006.9.29)雲谷~青森
 この自転車旅行は目的地というのは設けていない。どこそこへ行ってみようという思いは何も持っていなかった。行った先々で興味あるものを見つけたらそこへ行ってみるというものだ。晴徨と名付けたのもその故である。従って観光ガイドに載っていない素晴らしいところを発見することもあるが、行ってみたらしょうもないとか、何も見つからずに走るだけの日もあった。この日はそういう日だった。Img_0895

陣立てという最も原始的な稲の干し方。知ってはいたが見るのは初めて。(青森の郊外で)


【作業日誌 9/29】
ホウレンソウ種蒔き

【今日のじょん】:先日テレビでUFOピーマンが紹介されていた。形も色も凄くユニークで、味も使いようによっては最高の味が出るのだ。元々は観賞用だということだが食用にもなるということで、3本作ったら鈴なりとなっている。あとはいかに保存法を考えるかと言うことだろう。P1020835 P1020836

これがUFOピーマンだ、味は激辛。食べてみたい人はじょんのびへ。 
 
 

 

コメント
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