晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(4) 菟原中③ 9/20 

2012-09-21 | 歴史・民俗

2012.9.20(木)曇

 「別所地名事典」には「不寝の森」という所が出てくる。
 この森について、「昔、四道将軍一行が山陰街道を下った時、此処に休息し、寝ずにかがり火を焚いて敵に備え住民を威嚇した。ネズがネズミになまりて繭団子を供えて産業の神様となり、稲荷神社に移築されている。」という旨のいわれが書かれている。(菟原村史)稲荷神社に移築というからには、稲荷神社のある森とは別の処にあるのかも知れない。
 影清稲荷の森は三和町史にゴウドの森と記されている。ゴウドとは神戸、郷戸、河渡、河戸などと表され、意味もいくつかあるのだが、このゴウドの森を見る限り、川の渡しと言う意味が最も当てはまると思う。近世の京街道は京都方面から来ると、下大久保から細野峠を越えて、菟原中村に入り影清稲荷の附近を通り、土師川を渡って菟原下の宿場に入ったものだろう。寛政十一年丹波大絵図の街道もそのように走っている。P1020791
 
両橋から土師川下流を望む。中村側は崖となっている。
ゴウトの森は写真左上にあたる。


 橋であれ渡しであれそのあたりが徒渉点であったことには間違いないので、ゴウドの森は河渡の森という意味だと考えるのである。
 両橋の上から土師川を見ると、このあたりの川は淵や崖があって容易に渡れるものではなさそうだ。少なくとも両橋から下、ゴウドの森の下は崖になっており、街道の徒渉点としては考えられない。もう少し下、友渕川との出合い付近が両岸がなだらかで可能性が高い。P1020790_2
 

友渕川出合附近は両岸がなだらか。


 ゴウドの森が河渡の森であって、土師川の徒渉地点の附近にあったとしたら、そこに関所とまではいかなくても番所ぐらいはあっても不思議ではない。まして細野峠を越えるともうそこは郡境である。
 番所の記録が無いものか探っているが、未だ見つかっていない。もし番所があったなら、不寝大明神のいわれははっきりする。
 わたしはそういう意味で、柴田氏のタタラ師関連説には懐疑的なわけである。
 つづく

【晴徨雨読】51日目(2006.9.20)八幡平~大湯
 鹿角は温泉と鉱山の町である。尾去沢鉱山は遺跡として残されており坑内見学もできる。佐渡金山の様に観光地化されてはいないが、そのことが余計寂寥感を呼び起こす。産業遺跡というのだろうか、一般的な歴史遺跡よりも魅力がある。Img_0750





【作業日誌 9/20】
草刈り(5-7)
草刈りにはすっかり飽きてしまったが、今日は新たな発見があり楽しかった。
府道沿いの法面から土師器、須恵器の破片が出てきたことである。屋敷の北側では多くの土師器を発見しているが、南側の法面では初めてである。いままで四年間草刈りし続けているのにねえ。P1020758P1020759 




法面東側の土師器と西側の須恵器、土師器の破片。


 【今日のじょん】:新じょん語録(15)びっくりじょん
左に手が出ているのは心霊写真では無い。おかーがワッと驚かしているのだ。アップにしてじょんの様子見てご覧、ワラウゼP1020757_3

コメント
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