2012.9.19(水)曇
藤原景清は平景清とも言われ悪七兵衛とも呼ばれた強の者だが、頼朝にその腕をかわれたためか平家の落ち武者として追われることなく日向で暮らすこととなるが、源氏の世を見るのが辛くて自ら両眼をえぐって放ったという伝説がある。そのほか様々な伝説があり、能、浄瑠璃から落語にまで登場することとなる。
「別所地名事典」では片眼の鎌倉権五郎景政同様、盲目の景清を産鉄に関係する神としているのである。天目一箇神(あまのまひとつかみ)をはじめ片眼の神が産鉄、金工の民の信仰を集めているのは周知のことである。
この地になぜ影清稲荷が勧請されているのかと問われたとき、ここが産鉄の地であるとしたら説明のつくことではある。
また、福林寺(菟原下、天台宗)の言として影清稲荷は元々別所にあったものとしている。もしそうだとすると別所が産鉄の地であるという間接的な証拠の一つになるのかもしれない。
影清稲荷の森はゴウドの森と呼ばれる。
影清稲荷の摂社として「不寝大明神」がある。柴田氏は「不寝」とはタタラ師が三日三晩(一代というタタラ製鉄のサイクル)寝ずにタタラの火を見続けることを意味するのだろうと書かれている。これは「鉄と俘囚の古代史」の中で船橋市田喜野井町別所の子神社(ねじんじゃ)についても同様のことを書かれている。(P256)
いくつかのタタラに関する本をめくってみたがこの説は見当たらない。どうやら柴田氏のオリジナルの説のようである。
わたしはこの説に疑問を感じている。確かにタタラの一代(ひとよ・三日三晩、この間に鉄をわかす)に於いて、火の加減を見る村下(むらげ・技師長、砂鉄を投入)、炭坂(すみさか・副技師長、木炭を投入)などはわずかな仮眠はあったとしてもほとんど不眠不休であった。そういったタタラ師が、不寝見=ネズミに象徴される不寝大明神などを信仰したとしても不思議ではないが、タタラ場やその周辺に祀られている例は無い。わたしが気づいていないだけなのかも知れないが、少なくとも一般的に祀られていることはないようだ。
本殿の左にある、不寝大明神の祠。前に置かれた板の文字と右手の木像が何か確かめたい。
「続 日本の地名」(谷川健一著)では全国の動物地名について紹介をしている。
そこでネズミについては長野県埴科郡坂城町(はにしなぐんさかきちょう)鼠(ねずみ)をはじめ、鼠宿、鼠坂(ねんざか)、山形県温海町(あつみちょう)の鼠ヶ関などを紹介している。そしてネズミ=不寝見として、不寝番の役人が見張る番所、関所という風に解いている。 つづく
奥羽三大古関といわれる鼠ヶ関は山形県に入ってしばらくの所にある。
【晴徨雨読】50日目(2006.9.19)八幡平~後生掛温泉
日本中のあらゆる温泉に入ったが、一番良かったのはと聞かれると、後生掛温泉となる。湯質、ロケーション、値段、設備など様々な要素が考えられるが具体的に何って言えない。良いから良い、好きだから好きということになるのだろう。
周囲の地獄が迫力満点、何でもないところに泥火山というか噴気孔がある。
今日のじょん:おとんぼさんとこのケンシロー(剣四郎かな)が鹿二頭と格闘し、やっつけたという驚くべきニュースを聞いた。村の人もびっくりの事件だそうだ。
向山でも鹿の鳴き声が聞こえる季節となった。朝の散歩時にいないかなあと思っているのだが、そう気安くは姿を見せない。遭遇したらじょんはどのような態度をとるだろうか。
今年は小豆も豊作そうだが、鹿より猿が心配。