いつのまにか 小さな春をみつけました
蕗の薹のつぼみが・・・
ささいなことから・・・は
早朝の1本の電話から展開はじめました
施設にお世話になっている実母の事で 地区の民生委員さんからのお訊ねでした
ありのままにお答えして 事無く用件は済みましたが、どうしてもこの事は
じいやには 話さなくてはなりません
わたしは 冷戦中は ”だんまり戦術”です
”暖簾に腕押し”の じいやには
これが一番、 話しかけてきた時が糸口なのは 経験すみ・・・
しかし、今日はそういう訳にはいかなくなりました
「電話のいきさつ、聞こえていたやろう?」
「うん」・・・
そばにいる私たち夫婦が 母のことには いろいろと関係が深く、10年以上にもなります
施設からの連絡先、住所も 私たちと同居の形なので 公的なことも含めて
すべて 長女のわたしたちの手が 要るのです
もちろん所帯主は じいやですから 言うまでもありません
入退院を繰り返す 母とわたしには じいやは なくてはならぬ存在なのでもありますから・・・
こんどの場合は ”だんまり戦術”は通用しません
とうとう ”一時解除のかたち”に ならざるを得なくなりました・・・
14日(昨日)は 熊本の病院へ受診の日、
「JR駅まで 送ろうか」
「いや、リハビリのつもりで 歩くからよか」といって 30分ほどの道を
じいやに見送られて? 家を出発しました・・・
一人で熊本の病院へ 列車で行くのは初めて
・・・思い出していました
昨年の3月、強風と豪雨の朝、激痛のわたしは じいやと一緒に”紹介状”を持ち
JR 特急列車で 熊本のT病院へ行ったこと
受付時間を数分すぎてはいましたが 幸いに受け付けていただき ホッとする間もなく
激痛に苦しんで 診察を待つこと 2時間余り
別室で横になって 待っていたことを・・・