ばあやの のんび~り日記  

還暦をむかえてからパソコンの勉強を始めて
傘寿も越えてしまいました。
いつまでパソコンできるやら・・・

ア・ソ・ウ・・・のお話

2009年02月22日 | ばあやの本棚

                 阿蘇根子岳 (葦ペン画・ 杏子)

 

陛下は 市役所の屋上にお上りになられて
復興途次の大牟田市をご視察になった。
当時の○○市長が、屋上から指さして

「こちらが有明海で 向こうに雲仙が見えます」とご説明した。
陛下もそちらをご覧になり、
「あ、そう」と おっしゃった。

その陛下のご返事を聞いた○○市長は
「いや、阿蘇山はあちらでございます」と、あわてて阿蘇山方向を示した。



  昭和天皇が 昭和24年、5月 福岡県大牟田市に ご視察に見えました
  三池炭鉱の三川鉱、坑内へも入坑されて、採炭現場をご覧になりました。

     陛下はキヤップランプに白衣をつけられ人車に乗って
    切り羽にお迎かわれになった。
    機せずして万歳の歓声がどよめいた。
  陛下が坑内にお入りになったのは この時が初めてで 終わり
である。
    このときの切 り羽は、
  そのあと、かなり長い間 『天皇切り羽』と 呼ばれていた。 
                                                                   
(当時のZA新聞より一部抜粋)

子供心に 「このお方が 天皇陛下 なの?」  
雲の上のお方だと思っていた 小学4年生のわたしでしたから・・・

三川鉱から大牟田奉迎場(YH小学校グラウンド)においでになり、
YH小学校にも おいでになりました 

老若男女、大牟田市民が 日の丸の小旗を 力一杯ふって陛下をお迎えしました。
校庭の朝礼台の上で 手を振って応えられたお姿は   59年経過した今も、
決して忘れられない 大切な思い出であります

この頃の政界は   あ・そ・う  麻生で 
大揺れ、国民は、また世界中までが なんとかならんのかと見守っている最中・・・

不謹慎ながら こんなことを思い出してしまいました
じいやは 「お召し列車を 荒尾駅付近の踏み切り近くで見たよ」といっていました (当時6年生)

余談になりますが・・・ 

当時のYH小学校、○▲校長先生が指導されていたお習字の作品、4、5名がえらばれて(わたしも)
陛下のお心をお慰めするためにと掛け軸を書きました。

お見せした一幅の書は いまも杏子の宝もので 大切に保存しています。

コメント (6)
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