今年は、小中学校の同窓生の中で、奥さまを病気で亡くした友が3人続いた。
そのうちの一人、T君は、長い看病が続いていて最後の入院介護の後だったので、
案外と覚悟が出来てあったのか 葬儀をすませると立ち直りも早かった。
偶然にも、昨年11月に同じ病院に入院していた私は、救急車で運ばれてこられた、
Tさんの奥さまを目にしたが、検査室のまえで頭をかかえたTさんを発見して、驚いたものだった。
昨年、3月 中学校の同窓会で元気になった私は、
一発芸とやらで太極拳を披露して、皆をおどろかせた。
その帰り2次会へ誘われて、友人のH君宅へ4~5人で突然にお邪魔。
奥さまが、快くお迎えくださり PM10時ごろまでのゆかいなひと時をすごした。
その奥さまの訃報を、今年の秋に聞いたときは耳をうたがった。
ほんの3日前に、その時の写真が届いたばかりで、
学生時代の笑顔で男子4人と奥さま、その横に私が納まった写真だったから。
そこには奥さまのにこやかな笑顔があり、
まさか亡くなられたとはとても信じることができなかった。
夫であるH君は、その後なかなか立ち直られず、いまもションボリとしてあると聞いて・・・
どうすることもできないが、明日は我が身かと思うと・・・
3人目のM君
昨年の秋に2度 奥さまのお見舞いに病院へ行った。
「なにか、ほしいものはない?」
「う~ん、鉛筆とノートがほしいなぁ」
すぐに大きなスケッチブックと12色の入りの色鉛筆をとどけた・・・
そして、今年10月15日にとうとう亡くなられ、
M君から手紙がとどいた。訃報とお見舞いのお礼の言葉が、
綴られてある、一枚の便箋にいいようのない寂しさがあふれていた。
『ノートには、旧姓の私の名前があり、「○○さん、ありがとう」と書いてあったよ』と。
M君も長い看護の後だったので、ある程度は覚悟されていたようで、
最後の様子をお仏壇の前で、しんみりと話してくださった。
それから数日後、M君が庭の大きな金柑を「おいしかよ~」といってとどけてくださった。
「うちのやつはこれが好きでねぇ・・・、今年は一粒も食べることができんやった・・・」
やはり、さみしさが一言にあふれていた。
「気をつけて帰ってね」
「うん、これからいつもの温泉にいってくるたい!」
M君を複雑な気持ちで見送った。