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日本橋町巡りシリーズ その7。日本橋兜町を取り上げる。ものをあまりよく知らなかった頃は東京証券取引所があるので『兜→株』だから兜町と付いたと本気で信じていた。
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しかし、前にこのブログでも取り上げたが、兜町は平将門が兜を埋めて塚にした所を兜山と言ったことがその由来で、その地に祀られたのが兜神社である。ただ、兜神社の由来は源義家が東北征伐に行く途中で暴風雨に会い、鎧を沈めて龍神に祈り、同じ場所に帰途兜を埋めて塚を作り、神を祀ったという故事を縁起とするものもある。
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この辺りは元は沼地だったが、江戸時代に江戸城築城のために埋め立てられ、大名屋敷が立ち並んだ。明治に入り、三井家などが恩賞として受け取り、今の『兜町』の名を付けた。渋沢栄一を中心に1871年に第一国立銀行、1878年に東京株式取引所(現、東京証券取引所)が設立され、周囲には証券会社や銀行が軒を連ね、今の金融の町となった。
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しかし、僅か10年程度であるにあれだけあった証券会社の数は激減し、また、今は場立ちもコンピュータ化によりいなくなったため、その様子はかなり変わってきた。ただ、その中でかつて人で溢れかえった喫茶店やうなぎ登りと縁起を担いだ鰻屋などはまだまだ残っている。今は株や債券と関係ない会社もかなり増えて来ており、沼地→武家屋敷→金融界→?と変遷を続けていくのかも知れない。
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また、かつては楓川という運河が兜町から京橋まであったが、首都高速環状線になってしまい、今は埋め立てられてない。ただ、当時の橋の中で海運橋だけが、欄干のみこの町には残されていた。
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