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日本橋町巡りシリーズ その14。今回は日本橋浜町を歩く。浜町は西側に人形町や蛎殻町、北に久松町や東日本橋、東側には隅田川に接する日本橋地区では最も南東の一角を形成する。
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町名の由来は昔は海浜のおもかげわを残していたからと言われ、江戸時代は武家地と町地がある入りまじりの町でかなり後までも武家地とはさて残っていた。
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浜町の中心である都営新宿線浜町駅はほぼ浜町公園の地下に位置し、出口を出ると最近某女性代議士が選挙区の女性支援者を東京に呼んで某演歌歌手の歌謡ショーを見せたという明治座が目の前にそびえる。因みに明治座はもとは久松町にあった喜昇座が明治12年に久松座になるも、廃座や火事に遭い、失われ、これを元に市川左団次が明治26年に新たな劇場としてスタート、その礎を作ったものである。
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また、浜町公園の中には競技場やテニスコートの他に、1861年に熊本藩主細川斉護公により建てられた清正公が祀られている清正公寺もひっそりと残されている。
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さらに周囲には手ぬぐいを染める店などあり、公園の中の道を行くと、現在建て替え中の水天宮の仮宮も浜町にある。そこから信号を渡るともう甘酒横丁に出る。
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1丁目方向にいくとすぐに隅田川が見えてその先には水上バスの渡船場を発券する船着き場がある。
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1丁目はどちらかというとかなりの下町の趣きが残り、マンションと戸建住宅、さらに小規模なオフィスが立ち並んでおり、日本橋地区では浜町が人口が最も多いのが納得がいく。
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このあたりは日本橋地区ではまだ人の多く住み、町の良さが残る。さらに公園や劇場、神社、古い商店なども点在する街歩きには楽しい街である。
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