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『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その10。音羽の坂の2回目。音羽の名前は江戸時代に元は護国寺の寺領だったものを町にしたが、これを大奥の女中音羽が譲り受けたため、その名前を取ったもので、音羽通りに沿った細長い町である。
今回は江戸川橋に向かい左側を歩く。小生は三丁目坂の反対側の坂の途中に10年ほど住んでいたが、残念ながらこの坂には名前がない。
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名前のある坂は前回紹介した『鳥尾坂』のほぼ向かい側で音羽通りから一本中に入り、少し行ったところにある『鼠坂』。細く半分は階段の急坂で上まで登ると足が疲れる。江戸時代に名付けられたらしく、森鴎外の小説にも『小日向から音羽に降りる鼠坂という坂がある。鼠でなくては上り降り出来ないという意味で付けられた名だそうだ。』と書かれていて、『人力車に乗って降りる事が出来ないのはもちろん、空車にして挽かせて降りる事も出来ない。車を降りて歩いて降りる事も雨上がりなんぞには難しい。』と続けている。今回も知らないお婆さんが上から降りてきてすれ違いざまに大変ですね、と声を掛けられる始末である。なお、この坂の別名は『水見坂』で坂の上から音羽の谷を流れていた(今は暗渠となっている)弦巻川が見えたからとも言われている。
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鼠坂の頂上を右に曲がると鳩山会館の裏手を通る細い道に出る。その先にはこれも車の通れない細い坂が姿を表すが、これが『八幡坂』である。この坂は今宮神社の横を通る坂で安政年間の江戸切絵図にも載っている。明治時代までは今宮神社の中に田中八幡社があったためにこの名前がついた。
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八幡坂を降りて左手に道なりに歩くと左には細い急坂、まっすぐ坂になっており、右に90度曲がる。この坂が『鷺坂』である。この辺りは江戸時代に関宿藩主久世某の屋敷があったため『久世山』と称せられた。大正になり、周囲に文士(堀口大學、三好達治、佐藤春夫ら)がすむようになったが、彼らは『山城国の久世の鷺坂』との連想から鷺坂と呼びその名前が定着したのがこの坂の由来である。
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小日向台に登る坂は3本とも細く車の通行も難しそうな坂であった。僅かな間に9本も名のある坂がある、さすがに文京区は坂の宝庫、坂を下りると江戸川橋駅はもうすぐである。
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