hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

音羽付近の坂(1)

2014-11-08 05:00:06 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その9。今回から2回にわたり、文京区音羽あたりの坂を取り上げてみる。音羽通りは護国寺の参道として栄え、今も護国寺の山門から江戸川橋までほぼ直線で結んでいる。そして、江戸川橋に向かい右側には目白台や関口台と言われる台地が、左側には大塚や小日向台と言われる台地が続き、丁度谷底に道路がある。そして、音羽通りを背骨に例えると肋骨のように坂道が数多く存在する。

今回は江戸川橋に向かい右側を護国寺駅から歩いてみる。地下鉄の出口を見て、今は高層化した講談社の前を通ると大塚警察署の前に来る。(いまは建て替え中)


これを右に折れると『三丁目坂』となる。今は音羽は1~2丁目だが、かつては1~9丁目まであり、この辺りは3丁目だったためこの名前がある。高速道路の下くらいまでは緩い坂だが、その先はきつく長い坂である。以前は坂の上には東大分院があった。


一度、坂の下まで降りて高速道路の下を行くが、遊歩道となっている。ふと見るとネコの小屋があり、2匹のネコが仲良く暮らしている。



その先は『鉄砲坂』で細くS字の勾配の急な坂。今は東京音楽大学の寮になっているが、江戸時代には鉄砲の練習の射撃場があったため、この名がついた。


さらに行くと『鳥尾坂』、これは明治時代に隣にある鉄砲坂があまり急坂のため、この近くに住んでいた鳥尾小弥太(貴族院議員)が私費を投じて作らせた坂であるため、その名を残している。

青柳幼稚園を越えて児童公園の脇に『七丁目坂』がある。この坂は途中から階段になり、歩行者した通行できない。


そしてでてくる広い坂が『目白新坂』、これはその南側の目白坂のバイパス的に明治時代に作られた新しい坂で広くバス通りとなっている。坂を目白台方向に登ると頂上付近で目白坂と合流する。そして左側には椿山荘、右側には獨協学園や聖カテドラル聖堂がある。


今度は椿山荘の前を左折して坂を下るが、こちらは狭くなり、途中から一方通行に。関口台町小学校を過ぎるあたりで右に緩くカーブし、坂も急になる。



坂を下りるともう目の前に神田川、川を渡ればすぐに江戸川橋駅がある。距離は大したことはないが、6本の急坂を登り降りすると秋の1日でも汗をかくほどである。反対側の坂は次回。