hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

赤坂見附・平河町付近の坂(1)

2014-11-25 05:00:01 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その13。今回は赤坂見附・平河町あたりの坂道、やはり坂道が多いため、2回に分けてレポート。

赤坂見附駅で降りて国道246号線を渡り、弁慶橋を渡らず右方向に登って行くと永田町駅の入口。その辺りから衆参議員議長公邸前を上がる坂が富士見坂。実は今回で千代田区の富士見坂は3カ所目(他に駿河台下、九段)だが、この坂からは見通しがよく、最も富士山が見えるような気がする。


少し歩くと左側の首都高速三宅坂トンネル入口横に石垣が現れ、その先に赤坂見附跡の標識が出てくる。赤坂見附は江戸城三十六見附の一つ。そもそも『見附』とは城の外郭にあり、外からの敵の侵入を発見するための警備のための城門のことである。今、地名として残されているのは市ヶ谷見附、四谷見附などで、この周辺には食違見附が紀尾井坂上のあたりにあった。



その先を左に折れ、赤坂プリンス旧館前を通るプリンス通りをいくと緩やかな坂となるが、これが諏訪坂。この辺りに諏訪氏の邸宅があったため、この名前が付いたらしい。別名が達磨坂だが、これは北白川宮邸(現在の赤坂プリンスホテル)の表門が達磨の木目のような模様があったため、達磨門と呼ばれ、その門前の坂のため達磨坂と呼ばれた。



この辺りは再開発されて都市センターホールなどが立派になっているが、その先の細い道を右折、少し行くと目の前に貝坂歯科という文字が出てくる。これを左折するとその名前の通りに貝坂となる。

この坂は短い坂だが、江戸晩期には高野長英が大観堂蘭学塾をこのあたりに開いたというレリーフもある。名前の起源は近くに貝塚があったことによるらしい。
貝坂を登って次を左にいくと元の道に出るがその先が清水谷と言われている。ここからは次回にする。