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『ぶらっと橋めぐり』その1。仕事場のある人形町の周りには隅田川、日本橋川を始めとする川が流れ、歴史のある橋、大きな橋など様々な橋が架かっている。これらを巡る企画。まず、第1回はやはり日本橋を渡ってみたい。
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やはり橋の企画の最初は日本橋であろう。日本橋というとやはり安藤広重の東海道五十三次の一枚目を思い出すが、最初の橋が架けられたのは1603年だから江戸幕府開幕と同年である。そして翌年には五街道の起点となった。しかし、この橋ももちろん木製であったため、火事で焼けることも度々、明治維新までに10回焼失している。因みに今の橋が架けられたのは1911年で19代目とも20代目とも言われている。
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日本橋は五街道の起点となったこともあり、今も道路元標が橋の中央に埋め込まれている。さらに国道1号(〜大阪市)、国道4号(〜青森市)、国道6号(〜仙台市)、国道14号(〜千葉市)、国道17号(〜新潟市)、国道20号(〜長野県塩尻市)の6本の国道の起点となっており、石でできた各地までの里程標もおかれている。
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現在の橋自体は架けられたのは戦前であるが、周囲の風景が一変したのは1963年に日本橋川に沿う形で高速道路が開通した時であろう。中々実現橋難しいが高速道路を移転させて昔の日本橋の風景を取り戻せという運動は地元を中心に今も続けられているようである。地元の人達は橋を洗うイベントなども行われており、この橋は地元の誇りなのであろう。
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また、日本橋には築地に移転するまで魚河岸が置かれていた。(関東大震災で壊滅、1935年正式に築地市場が開設)その碑が橋のたもとに今も残されている。魚河岸の名残は碑ばかりではなく、日本橋周辺には『にんべん』(鰹節)、『山本山』(海苔)、『木屋』(刃物)、『神茂』(蒲鉾)、鮒佐(佃煮)など魚河岸に因んだ老舗が数多く残されている。
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もう一つ、日本橋にある船着場乗り話。三越側から日本橋を渡り、野村證券の横あたりに船着場がある。ここから東京水辺ラインが運行されていて、隅田川からお台場や浅草、両国などを結ぶコースをメインに、1日クルーズといって赤羽の岩淵水門まで上り、さらに小豆沢まで行くコース、葛西臨海公園まで行くコース、日本橋川から神田川を遡る小型船カワセミのコースなどもある。
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小生も神田川を遡るコースに乗り、御茶ノ水の聖橋や水道橋を川面から見たことがあるが、普通と違う東京を見るのも面白い。
こうして、改めて橋の成り立ちなどを調べるうちに、この日本の中心をなす橋を毎日渡り、仕事に奔走することも有難いことなのかもしれない気がしてきた。