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『ぶらっと橋めぐり』その2。第1回の日本橋より上流、同じ日本橋川に架けられたと一石橋(いっこくばし)を渡ってみたい。
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一石橋は日本橋からみて2つ上流の橋(間に西河岸橋)で、日銀本店からすぐ、また、上を外堀通りが通る橋である。まずはその名前のつけ方が粋なものである。江戸時代にこの橋が壊れた際に北詰の両替商の後藤庄三郎と南詰の呉服商である後藤縫殿助の2人が資金を折半で出して再建されたのであるが、金を出したのが両方『後藤』姓であったことから江戸っ子は『五斗』に掛け、五斗+五斗=一石、そこで『一石橋』と名付けたと言われている。
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首都高速の呉服橋ランプがそばにあるが、1963年にこの建設にあたり、親柱を撤去したため、昔から残る親柱は2本のみでこれが区の有形文化財に指定されている。
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また、一石橋には『満よひ子の志るべ』と書かれた石の柱がある。これは『迷い子の知るべ』つまり、迷子などが発生した場合に知らせる伝言板のようなもので1857年に作られた。石の左側には『たづね方』、右側に『志らする方』とあるが、左側の方に迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、これに心当たりのある者は右側にその旨を書いた紙を貼るシステム。つまり迷子探しの情報サイトのようなものであり、当時は湯島天神や浅草寺などにもあったが、現存するのはここだけである。戦後すぐには上野の西郷隆盛像に同様のことを行なっていたのだから、有効な手立てであったのだろう。
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因みに今の橋は改修はされているが、1922年にかけられたものである。関東大震災前のRCアーチ橋としては都内最古であり、貴重な産業遺産と言えよう。
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今まで坂道を歩きながら江戸に思いを馳せてきたが、橋にも同じような側面があることに気づかせてくれた。