hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

目黒駅(1)

2017-07-19 05:00:45 | 日記

『メトロに乗って』その62。今回は都営三田線、東京メトロ南北線の目黒駅で降りて駅近くを歩いてみる。実はこの辺りは坂シリーズで歩いたことがあるのだが、東京有数の急坂である行人坂がある。

まず、目黒駅だが、1885年に日本鉄道の駅として開業(現在の山手線の元になった品川〜赤羽、当時は品川線)。鉄道マニアなら大体知っているトリビア『目黒駅は品川区、品川駅は港区』のように目黒駅の所在地は品川区上大崎である。これは地元住民が反対したためとの説もあるが、より直線で結ぶため、現在の線になったと推測されている。

実際の目黒区は権之助坂近くからがそのテリトリーとなっている。地下鉄は両線とも2000年9月であり、それまでの東急目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分かれ、目黒線に地下鉄が乗り入れるとともに、東急の目黒駅が地下化されたのである。

地下から上がると正面口と西口があるが、正面口から出ると3またに分かれ、まっすぐ行くと権之助坂に続き、左の道を行くと行人坂となる。

今回は行人坂を降りて行くが、すぐ左には有力芸能事務所のホリプロの立派なグレーの建物が見えてくる。


そのほぼ向かい側にあるのが大円寺である。このお寺は寛永年間に行者大海が創建したと伝えられている。1772年2月にこの寺が火元となり、明和の大火(行人坂火事)が発生し、その被害者を悼み、石仏群(520体)が作られたと言われている。


また、坂の途中には勢至菩薩の石像があるが、これには江戸時代中期に目黒川架橋の銘文が刻まれている。


僧の西運が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中で人々に報謝を得てこれを元に目黒川に太鼓橋を架けたとある。

さらに坂は急になり、坂の下には雅叙園が立派なホテルとなっている。


元は1931年に細川力蔵が創設した目黒雅叙園という結婚式場が始まりで、日本最初の総合結婚式場ということになる。中華料理の円形ターンテーブルもここで考えられたものらしい。しかし、力蔵の死後、運営会社が破綻、現在はワタナベウエディングの傘下にある。敷地内にはアルコタワーというオフィスビルもあり、以前とは様変わりである。

(以下、次回)