『鉄道シリーズ』その201。3月17日にいよいよ小田急線が新ダイヤに移行した。これにより3日に完成した代々木上原〜登戸の複々線を使った増発が行われ、①下北沢駅8時台の上りが27本から36本と銀座線並みの本数になり、②快速急行の大増発と通勤急行・通勤快速の新設、③東京メトロ千代田線乗入れも6割増の28本へ、④上りの通勤を意識したロマンスカー、『モーニングウェイ号』『メトロモーニングウェイ号』を7本→11本とする、など画期的な改正となる。
さらに快速急行の停車駅に登戸、快速の停車駅に千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、狛江が加わることになる。(ふと考えると快速が停まらない駅は和泉多摩川、喜多見、豪徳寺〜世田谷代田、東北沢だけになり、本当に快速と言えるのか分からなくなる気もするが。)
そんな新ダイヤを詳しく知らずに3月17日にはこね81号に乗って小田原に向かったのだが、そこで向ケ丘遊園駅には停まらないことを知る。
調べてみると以前は『はこね号』など上下各2本が向ケ丘遊園駅に停車していたのだが、新ダイヤではロマンスカーが全く停車しなくなっているのだ。(新松田駅もロマンスカーが停まらなくなるが、ふじさん号が松田駅には停車する。)『向ケ丘遊園駅』の凋落ぶりはこれだけではない。改正後は多摩線にも快速急行が新設、これもお隣の登戸には停まるが、向ケ丘遊園には停まらない。
向ケ丘遊園駅の歴史は1927年4月に開業、当初は橘樹郡稲田町にあったので稲田登戸という名前であった。開業と同時に遊園地の向ケ丘遊園が開業、豆汽車(稲田登戸〜向ケ丘遊園正門)の運行も始まった。その後、新宿からの各駅停車(当時は小田原行は直通と呼ばれた)の終点であり、戦後1946年に準急が設定されると停車駅に、さらに1952年急行の停車駅にもなった。1965年には豆汽車を廃止してモノレールに切り替え、さらに1966年にはロマンスカーさがみ号の停車駅に加えられた。
この辺りまでがピークで2000年にはモノレールが休止、2002年には遊園地が閉園、この年に新設された多摩線乗入れの『多摩急行』は通過が決まった。まあ、2016年に多摩急行が急行に変更されると千代田線乗入れの急行は停車するようになったが。今回ロマンスカーの停車駅から外れ、さらに駅舎を見ても北口は開業当時と同じギャンブレル屋根(駒形切妻屋根)のまま。歴史的建物といえば聞こえがいいが、全く直されていない。(開業当時は新原町田、本厚木、大秦野、新松田も同じだったが、他の駅は全て建て直されている)さらに向ケ丘遊園もないのに駅名は昔のまま変わっていない。
そんな向ケ丘遊園駅だが、新ダイヤで始発の各駅停車が5本→12本と増加するなど小田急自体もかなり気を遣っているのもわかるのだが。
最後に新松田からの富士山、綺麗である。