『江戸の坂、東京の坂』その95。東十条付近の坂の続き。富士山登山を終えて荒川小学校の前をしばらく歩く。すると右側に路地が現れるが矢印があり『東十条駅』とある。
これを曲がるが、細い路地の左右には総菜屋、本屋、そしてたくさんの小さな居酒屋がひしめき合っている。その先には東十条駅北口があるのだが、その手前を右の方に行く。湾曲しながら線路際の道につながる坂道となるが、これが『石神井坂』、その由来はよく分からない。
しばらく線路沿いの道を行くが、線路側にはフェンスもなく京浜東北線、東北線などの電車がひっきりなしに通るが、まさに絶好の撮影ポイントである。
左側に小さな神社、看板を読むと現在は環七の跨線橋あたりに荒沢不動尊が祀られていたが、工事によりここに移された。小さな池は綺麗な水をたたえ、錦鯉が泳いでいた。
その先、左に登っていく細い道、その先が環七通りに出る階段となっているが『(旧)馬坂』である。現在の馬坂は環七通りにあり、その先の歩道橋に名前を残している。
歩道橋の横には八雲神社がある。戦前は環七通りの真ん中あたりにあったが、戦時中に現在の場所に移された。祭神は牛頭天王・須佐之男命であり、祇園神社の系列にあたる。
歩道橋で向かい側に渡り、そのまま赤羽方向に行くと緩い下り坂になるが、これが『清水坂』。その由来になった清水は現在は児童公園になっているあたりで湧き出していたようである。
東十条は線路を底に両側が高くなっており、それに沿い坂道がある。また、線路が敷設されたために地形が変わり、坂道も変わったケースが多かった。