車の6ヶ月点検でディーラーに車を持って行き、僅かな空き時間ができたため、バスで烏山寺町を訪れることにした。
高井戸駅から千歳烏山駅経由で久我山病院まで行く関東バスは1日7本、これに乗り込むが私が初めての客であった。それから多少乗客も増えたが、千歳烏山駅で私以外は全員下車、しかし、同じバス停から沢山の喪服を着た人が乗車。それもおばさん、おばあさんばかりである。次の交番前では子供の集団も乗り、バスはほぼ満員。細い寺町通りを走っていく。すると寺院通り2番で大半の人が下車、私も寺院通り5番で降りる。
周りは寺町というだけあり、寺が多いが、この辺りは外れにあたり、東京女子体育大学のグラウンドに梅が綺麗に咲いている。
まずはその向かいにある高源院から訪ねる。元は久留米藩主有馬氏が品川に開いた寺だが、関東大震災後に移ってきたらしい。この寺が有名になったのは鴨池とも呼ばれている弁天池があることからで、湧水でできた池の真ん中に浮御堂があり、鴨が冬には渡来するのである。
この風景を見ただけではとても世田谷区にあるとは思えない自然が残されている。ただ、見に行った時には鴨の姿はなく、残念であった。
隣の寺が永願寺、さらに歩くと専光寺。入口には都旧跡『喜多川歌麿の墓』、中に入ると墓地入口に確かにそれらしきものはあるが、墓には『北川』と彫ってある。
それは元々北川姓を喜多川に変えたもので、若い頃は『北川豊章』の落款を使ったものもある。ほかにも和唐紙の創始者である中川儀右衛門の墓などもある。
そのはす向かいには妙寿寺、元は谷中に造られた寺で関東大震災で大正14年に移転してきた。
中に入ると先日の東日本大震災で倒れた灯篭と関東大震災で穴の空いた釣鐘が並べてあるが、特に釣鐘は衝撃の大きさを目の当たりにすることができる。
その奥右手にある客殿は旧鍋島侯爵邸を移築したもの。世田谷区の指定文化財にもなっているが、木造の明治期の建築物の美しさは眼を見張る。特に一面ガラス張りの二階は当時は贅沢であっただろう。これからの季節は一面にツツジが植えられていてさぞや美しいであろう。(以下、次回)