烏山寺町には26の寺院があるが、そのメインストリートにあたる寺院通りを歩いてみた。この町の設立には複雑な事情があり、大正時代に当初は都心部再開発に絡み下町などにあった寺を移す計画の最中に関東大震災が発生、これにより焼け出された寺が1924年以降順次移転してきたもの。
当初はバラック建てのものであったが、徐々に再興され、さらに風致地区として一定の開発規制をしたため、風雅で趣きのある今の寺町が形成できた。
前回の続き。妙寿寺の向かいには永隆寺、この寺は日蓮宗。本堂横の看板に仏様にお参りしたい方はどうぞとあったため、本殿に上がらせてもらう。なるほど立派な阿弥陀像が祀られていて、さらに日蓮像に頭を下げてみた。
向かいが称往院、この寺は元は湯島にあったが、明暦の大火で浅草に、関東大震災で烏山へと移ってきた。寺が浅草にあったころには寺内にあった道光庵庵主が作る蕎麦が評判を呼び蕎麦切り寺として有名となる。
しかし、修行の妨げになるとして1786年当時の住職が『蕎麦禁制』の石碑を作った。また、俳人の宝井其角の墓もここにある。
その先にはインド風の建物が見えてくるが、この寺が妙祐寺。寺の歴史は比較的新しく1625年に土中から発見された阿弥陀様を本尊とした渋谷に創立された。戦後1949年の都市計画の際に烏山に移転してきたものである。
その先も源正寺、入楽寺、常栄寺、乗満寺、多聞院と並んでいてその先は中央高速が走る。
これを渡ると妙高寺、もっと時間に余裕をもって丁寧に見ればまだまだ名所や有名人の墓もある。
ただ、時間もないので今回はこの辺りでディーラーに車を取りに行くことにした。次回はサクラの時期に来たいものである。