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『ぶらり橋めぐり』その78。今回は昨年11月の日本橋川の橋めぐりの続き。前回は雉子橋まで歩いたので今回はその隣の一ツ橋から始める。もとは一ツ橋門の近くにあった橋であり、徳川家康が江戸入国の頃には大きな丸木が一本橋として架かっていたためにこの名がある。
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すぐ前には平川門など内堀が見える位置で、1873年には櫓門は撤去された。現在の橋は大正14年11月5日架橋とかなり古いものであり、長さが19.6m、幅が28mと幅が広い橋である。
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橋を渡り、下流に向かうと外堀の石垣の名残が見えてくる。その先にかかるのが錦橋、この橋は関東大震災の復興事業で1927年5月に作られたものだが、上に高速道路がすっぽりかかっているために暗い橋である。
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名前の由来は江戸時代にこの辺りには一色という武家屋敷が2軒あったため、二色→錦となったものである。また、この橋の下には地下鉄半蔵門線が通っている。
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さらに400mほど下流に行くと神田橋、神田と大手町を結ぶ橋である。ここにもかつて神田橋門があった。寛永年間には大炊殿橋と言われていたが、これは当時橋の西南に土井大炊頭の屋敷があったからである。
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現在、橋の周辺は工事中であり、ぐるりと周り、橋に出る。橋は一ツ橋とほぼ同じ大正14年11月10日に架橋されたアーチ橋である。(以下、次回)