hokutoのきまぐれ散歩

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時刻表机上旅行⑥〜夜行列車を懐かしむ

2021-03-25 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その297。1964年9月時刻表は見飽きることがない。じっくり見ていると色々と発見があって楽しい。このブログで東京〜大阪のビジネス特急の話を書いたが、当時は東京〜大阪は昼行ばかりではなく、歴史的に見て、夜行も最も多かった時代である。当時は東京〜大阪はビジネス特急であっても6時間半もかかるため、夜行で夜遅く東京を立ち、大阪で朝から仕事をするというニーズがあったのである。もちろん、東名高速もない時代だから夜行バスもなかった。
 
1964年9月号の時刻表を見ると19時発西鹿児島行特急はやぶさが出発、次は20時30分発の広島行急行安芸、20時40分発大阪行急行銀河、20時50分発大阪行急行すばる、21時発宇野行急行瀬戸、21時10分発大阪行急行明星、21時30分発大分・博多行急行ぶんご・筑紫、21時40分発大阪行急行彗星、21時50分発大阪行急行あかつき、22時発大阪行急行月光、21時10分発大阪行急行金星と略10分おきに夜行列車が東京駅ホームから出発していた。

日本全体を見渡すと出発時間の遅い普通列車が夜行として走るものもあった。例えば宇高連絡船の本州側にある宇野駅には高松発0時27分の2便が1時32分に到着し、1時46分発大阪行各駅停車に連絡、岡山2時42分に通過、大阪6時57分に到着する。つまり、高松から夜行列車に乗るのと同じように乗り継いで翌朝大阪へ出張できたのである。

この列車はその後『急行鷲羽』に昇格、1時40分発となったのである。もちろん、急行になったため、大阪駅到着は5時17分となり、終点は新大阪駅に変更されている。

調べると他にもある。北海道北部の音威子府駅午前3時44分発の天北線(1989年廃止)回り稚内行。稚内到着7時31分、151.8kmを3時間45分かけて全ての駅に停車しながら走っていたのである。

もっとびっくりしたのは信越本線新津駅(新潟県)2時55分発大阪行各駅停車。もちろん、全ての駅に止まるわけではなく、加茂、東三条、見附、長岡と快速のように飛ばしながら走るが、大阪駅到着は20時12分。7時間17分もかけて走るのである。始発の新津駅には連絡列車もなく、なぜこの時間に出発した(途中までは回送でよかった?)のが謎である。



私も東京駅発大垣行各駅停車に乗って大阪に行ったことはある(快速ながらになる以前の普通の車両の頃)が、夜中の3時5分前に出発する列車があったとは、この頃の国鉄はまさに24時間営業であった。他に夜行普通列車『ながさき』(門司港〜ながさき)に乗って九州を旅行したこともある。今になって思うと時間もたっぷりかかり、不便であったが、懐かしい。