hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『奇貨』を知っていますか。

2021-03-20 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その27。ある文章を読んでいて『奇貨』という言葉が出てきた。大学時代に学んだ刑法の判決文にもあったような遠い記憶はあるのだが、うろ覚えの言葉はちゃんと調べてみることにした。

辞典によると『奇貨』はまさに字の通り珍しい品物や財宝を意味する。特徴はこの価値は素人には分からないが、よく知っている人の間では価値はある。そのため、せっかくの希少品を売りに行っても買い叩かれてしまう。どんな稀少品も売り方が大切で『奇貨』はうまく取引できれば大きな利益を生むチャンスということになる。

『奇貨居くべし』というフレーズは司馬遷の記した史記に出てくる。秦の時代に秦の商人・呂不葦は秦の太子の庶子である子楚を異国で見かけた。その際に子楚は人質として暮らしていると聞き、後々役立つだろうと保護した。すると後に子楚は秦の王に、そして呂不葦は宰相となった。こうしたいずれは役立つだろうものは予め手に入れたほうが良い、ということを『奇貨居くべし』と使ったのである。

それならば『奇貨』が法律に出てくるのはどういう場合なのか。法学部出身の人ならば必ず見たことがある『宇奈月温泉事件』の判決文に『所有権に対する侵害又はその危険の存する以上、所有者は〜(中略)〜裁判上保護を請求し得るべきや勿論なれとも、その侵害による損失にたらず而も侵害の除去著しく困難〜(中略)〜場合において第三者にして斯かる事実あるを【奇貨とし】不当なる利得を図り殊更に〜』とある。簡単に言うと莫大な資金を使って温泉の管を引いたXに対し、その管が通る僅かな土地を(奇貨として)買ったYが(除去するにはまた莫大な資金が必要となることを知りながら)これを除去しろと訴えた裁判で大審院(今の最高裁)が権利の濫用を認めた有名な判決である。


長くなったが、『奇貨として』とは従来は『(悪いこととして)相手側が知らないことに付け込み、自分にとって利益となるように利用する』、言い換えると知らないことを逆手に取り、法外な利得を得るという意味で利用する。

しかし、最近のネットで調べた見出しを読んでいると『コロナ禍を奇貨として東京一極集中を是正する』『コロナ禍を奇貨として教育をグレードアップ』『コロナ禍を奇貨として医療大国を目指せ』と『(肯定的に)うまく使ってよくしていく』と変わってしまっているようだ。