hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

クリスマスツリー

2015-12-21 05:00:07 | 日記

毎年のことだが、年末には仕事柄ホテルや新しいビルに出掛けることが増える。今年は12月の上旬は暖冬のためかあまり季節感を感じなかったが、それでもクリスマスツリーを見るとやはり年末感が漂い出す。その中できになったものをいくつか紹介したい。
まずは丸ビルのツリー。よく見るとわかるがツリーの下にはベンチがあって記念写真が撮れるようになっている。

次は先日訪れたカップヌードルミュージアムにあった小さなツリー。何の変哲もないミニツリーかとおもいきや、よく見るとカップヌードルの中にツリーが立てられ、ツリーの先にはカップヌードルや小さなヒヨコちゃんがぶら下がっている。その芸の細かさには恐れ入る。


箱崎のエアーターミナルのツリーは綺麗な飾り付け、また、大崎のゲートシティはキラキラ光るライトが美しい。


さすがと感じたのは帝国ホテルのツリー。豪華というより、上品である。

さらにツリーの隣にはたくさんの赤いバラで作られたツリーというかオブジェ、いったい何本のバラが使われているのだろう。

最後に雪の中に立つようなツリーはKITTEのもの。高さも高く、吹き抜けに立てられており、1日に何回かライトアップイベントも開かれている。これを見るだけで十分冬の寒さを感じることができる。

これらもあと数十のディスプレイ、26日からは正月モードに、これが日本の年末風景である。ちなみに仲見世は12月に入ると迎春のディスプレイになっている。

しりとり

2015-12-20 05:00:42 | 日記

会社からの帰り道、ふと見ると幼い男の子が2人、多分兄弟で上の子が小学校1、2年生、下の子は幼稚園児くらいが仲良くしりとりをしながら歩いている。下の子が『かもめ』すると上の子が『めだか』、次いで『かつお』『おか』とやっている。


そうか、上の子は『か』で攻めているな、と気がつく。下の子も気づいたのか『か』で始まって『か』で終わる言葉を必死に考えているようでそばにいたおばあさんらしき人にこっそり聞いている。

そして、名詞ではないが、『かごのなか』と言い返すと上の子は少し口籠る。なるほど子供はこうして語彙を増やしていくのかと感心したりした。
因みに日本語は表音文字であるため『しりとり』という文化がある。英語の場合もred→drama→Apple→earとできないこともないが、やはり音で繋ぐ方が分かりやすい。特に字に書いてみないと発音しないと字もあるから厄介である。(knifeなど)

では、しりとりにら必勝法はないものかとパソコンで調べるとあるわあるわ。例えば『ず』で終わる言葉を連発するという必勝法。実は『ず』で始まる名詞は『髄』『ずいき』『ズワイガニ』『図画』『ズーム』『図形』『ズッキーニ』位しかない。というのは外来語もzで始まる名詞はもともと少ないことからきているのかもしれない。逆に『ず』で終わる言葉は『グッズ』『メンズ』『チーズ』『サイズ』『ジャズ』『ニーズ』など数多くあり、攻撃もしやすいというものだ。

同様に『る』『ぬ』『れ』『ら』などで始まる名詞は少ないため、しりとり自体で『ず』が『濁音と半濁音は取ってもよい』というルールで使えない場合は有効である。(ずをすにかえていいというルール)例えば相手が先攻で『しりとり』と始めたら『リアル』と返せばよいし、逆に後攻の場合は『しりとり』『りんご』ときたら『ゴール』と返せばよいとまで書いてあった。

さらに『る』のカウンターワードとしては『ルール』『ルーブル(ロシアの通貨単位)』『ルミノール(犯罪捜査で血液を調べる試薬)』などがあるらしい。
これは参考になるとは思ったが、久しくしりとりはやっていないことに気づいた。閑話休題。

箱根登山鉄道(小涌谷~箱根湯本)

2015-12-19 05:00:42 | 日記

鉄道シリーズ その122。箱根に仕事で行ったの帰りに久々に箱根登山鉄道に乗車することができた。小涌谷駅に到着したのが16時11分、何とか16時16分箱根湯本行きに間に合った。小涌谷駅では強羅行と交換があり、強羅行がまず到着。強羅行は3両の新型車両に対し、箱根湯本行は昭和25年製造の2両連結。もちろん通り抜けはできない。


次の宮ノ下駅からは急に勾配が急になり、大平台までは途中2箇所の信号所で止まる。最初の仙人谷信号所は単に停車のみだが、次の上大平台信号所ではスイッチバックする。車両も年季が入っているため、大きなモーター音のあと、一旦停車、運転手と車掌が交代し、次の大平台駅に向かう。

大平台駅ではまたスイッチバック、さらに強羅行との交換もある。そのため、一時的だが、上りも下りも同じ方向に走る。

もちろん、また運転手と車掌が交代、これが次の出山信号所でも行われる。ようやく塔ノ沢駅に到着するが、ここでまた交換停車。まあ、単線だからやむを得ない。


そこからまたゆるゆる動き出し、早川を渡り、箱根湯本駅に滑り込む。箱根湯本駅も一番はずれたホームに停車する。7kmあまりの距離の間にスイッチバック3箇所、400m以上も下るのだから大したものだ。このベテラン電車がわれ健在という走りは嬉しかった。


箱根湯本駅着は16時45分、僅か30分の登山鉄道だったが、十分楽しむことができた。

6時東京駅発の東海道・山陽新幹線に乗車して

2015-12-18 05:00:14 | 日記

鉄道シリーズ その121。東海道・山陽新幹線に東京駅から始発(6時発のぞみ1号)に乗ってそれぞれの駅にどの順番に到着するのか、ということを検証してみた。遠い方が遅くなるのは当たり前だが、のぞみ・ひかり・こだまと列車の速さが3種類もあると単純にはいかない。

東京駅を出て品川、新横浜は6時発ののぞみが最初に着くのは当たり前。小田原と豊橋は6時26分発のひかり501が早く到着、熱海から三河安城(除く豊橋)までは次のこだま631(東京発6時33分)が早く着く。因みに三河安城には8時19分到着。

しかし、名古屋より先の岐阜羽島、米原に関してはは6時ののぞみ1で名古屋乗換、ひかり495に乗ると三河安城より早く7時46分、7時59分に到着できる。

京都~新神戸、姫路はのぞみが停まるので当然早く到着できる。しかし、その先をみると、西明石、相生は6時ののぞみに乗り、名古屋でひかり495に乗換、西明石9時1分、相生9時42分にしか到着しない。

その先だが、まず岡山、福山はのぞみが停車するので除外する。そこで岡山の次の新倉敷を調べると6時ののぞみ1に乗り、岡山でこだま733に乗り換えると9時23分に到着する。同じくこだま733に乗ると新尾道9時54分、三原10時1分、東広島10時20分である。

広島以西も新岩国はこだま733が最も早く10時50分、徳山11時3分となる。しかし、新山口にはのぞみ16が停車するので10時38分。厚狭はのぞみ16で新山口で乗り換えこだま731で10時54分。同じく新下関は11時18分となる。

こうして見ると距離通りではなく、『三河安城より米原に20分早く到着』『相生より新倉敷に19分早く到着』『徳山より厚狭に9分早く到着』と結構逆転するところがある。やはり、のぞみから乗り換える駅からの距離が遠い駅と近い駅で逆転現象がまま発生するのだ。
それにしてもこれだけ色々な新幹線が走っていると時刻表で追いかけるのも中々難しく、やはりパソコンの検索システムがいかに有難いかがよく分かる。

あら川(再訪)~十条グルメ

2015-12-17 05:00:18 | グルメ

忘年会シーズンたけなわ、友人のO氏と忘年会ではないが、一献と天ぷらを食べに行くことになった。折角ならば美味い店にと東十条の『あら川』にお邪魔することに。

東十条から7分ほどだが、静かな住宅街のマンション1階に店は立地する。さぞや混んでいるかと思いきや、座敷はともかくカウンターは小生が最初、マスターも手持ち無沙汰。すぐ連れがやってきて、生ビールと穴子の煮こごりをお願いする。冷たい煮こごりが口に入れると溶けて美味い。ビールが進むこと。


刺身の盛り合わせ1人前と海老味噌を頼み、日本酒に取り掛かる。この店のマスターは十四代の蔵元高木酒造とは古くから縁があり、記念式典などにも居酒屋では三軒茶屋の赤鬼、大塚の串駒と3人だけが呼ばれるほどの仲。最初に(十四代)本丸新酒美山錦を頂く。いや、十四代の割にさっぱり爽やかな印象。


海老味噌はその名前の通り海老の味噌の部分を塩と練り込んだ逸品で少し舐めつつ十四代を飲む。何という贅沢だろう。刺し盛りも見事な中トロ、鯛、鯵、白魚、赤貝、タコなど何も美味い。本来、煮魚なども食べたいが、天ぷらが主役のため我慢する。


天ぷらは活きさいまきを2本、身の甘さ、頭の旨さにビックリ。そりゃ、生きていた車海老の揚げたてが不味いはずがない。


次いで大ぶりの牡蠣、塩とレモンで頂く。旨さが凝縮している。さらに大きなホタテ、真ん中の部分は生に近く、これも甘い。十四代も軽く1合が空いてしまう。
次いで白舞茸、これは天つゆと塩で半々にして食べる。市販の舞茸に比べてえぐみが少なく、上品な旨さ。2杯目は十四代山田錦に変えるが、米の違いでこれほど味が違うのかと驚き、コクがあって旨味を感じる。


ここで小生の好きな甘鯛登場。まつかさのようにカリカリの皮とふあふあの身のアンバランスが嬉しい。塩を少し振って頂く。大きな万願寺とうがらし、銀杏で口直し。

次いで穴子だが、さすがに腹も膨れてきて、半分頂く。これは天つゆで、カリカリの尾に近い部分を頂くが、よく脂が乗っていて旨い。

最後はかき揚げ。海老満載で旨いが、もう腹も限界で本来なら天茶か天丼にしたいところだが諦める。少し小ぶりのぐい呑に今度は十四代雄町を頂く。いや、ねっとりしていてこれも旨い。

とにかく、何を食べても何を飲んでも旨いの連発である。ただ、若くないのでさすがに食い過ぎである。楽しい2人忘年会となった。食べ終わったあと、隣の人が飲んでいた三岳と同じ蔵の焼酎『屋久の石楠花』を頂くがこれも旨い、東京では中々お目にかかれない酒らしく、出会えた喜びを感じた。あ~あ、楽しかった。

あら川
北区東十条3ー3ー1小田急マンション1階
0339121430

『猿・申』のつく駅

2015-12-16 05:00:52 | 日記

鉄道シリーズ その120。毎年恒例の企画、干支のつく駅、来年は申年である。


最近の状況だが、2014年の干支の『馬』『午』さらに『駒』まで含めると東京近郊だけでも高田馬場駅(山手線)、新馬場駅(京浜急行線)、馬喰町駅(総武線)、馬喰横山駅(都営地下鉄新宿線)、駒沢公園駅(東急田園都市線)、駒場東大前駅(京王井の頭線)、西馬込・馬込駅(都営地下鉄浅草線)、練馬駅(西武池袋線)、東武練馬駅(東武東上線)、小伝馬町駅(東京メトロ日比谷線)など沢山ある。(詳しくは小生のブログ2013.11.20ご参照)
ところが、2015年の干支の『羊』『未』のつく駅は全国に一つもなく、前回の年賀状は大変困り、やむなく横浜市にある『山羊坂』の写真を使うことになった。

では、2016年の干支、『申』『猿』はどうなのか。実は『申』は日本で1カ所、松浦鉄道(旧国鉄松浦線)の真申駅のみである。


『猿』はというと3カ所、うち2カ所は無人駅である。まずは猿田駅(総武本線、千葉県銚子市)、近くに猿田神社があるためにこの名前が付いた。

次は猿和田駅(磐越西線、新潟県五泉市)、猿和田は周辺の地名である。因みに隣の駅が馬下(まおろし)駅というのも面白い。

そして最後が猿橋駅(中央本線、山梨県大月市)、これは近くに日本3奇橋で有名な猿橋があるからだが、この橋が奇橋と言われるのは刎橋という橋桁のない構造で作られているからである。その中で今年4月に猿橋駅を訪問、年賀状のデザインに使わせてもらった。本当は紅葉のシーズンが良かったが、まあ、やむをえない。

2017年は酉年、沢山ありそうだが、どこに行こうか。すぐ思いつくのは鳥沢駅(中央本線)、鳥取駅(山陰本線)などであるが、鳥の種類、例えば鶴見(京浜東北線)、燕三条(上越新幹線)、鴨宮(東海道本線)、千歳烏山駅(京王線)なども含めるとかなりの数に上るであろう。

浹(あまね)~日本橋ランチグルメ

2015-12-15 05:00:17 | グルメ

先日も鴨なんばの話を書いたが、事務所の近所に鴨そばの店を発見。店の名前が『浹(あまね)』、なかなか読めない漢字だが、あまねく知られるという意味の字らしい。

ランチメニューは色々あるが、かなりの人が『鴨そば+かやくご飯』(980円+350円)注文するらしい。小生もこれにならう。

注文後、5分程度すると鴨そばとかやくご飯登場。鴨そばは深い丼に鴨とたっぷりの九条ネギが上に載せてあり、良い香り。昆布と鰹がよく効いた出汁は山椒を掛けて一口飲むと美味さが口に広がる。いや、これは京都の鴨なんばそのものである。鴨も厚みがあり、歯ごたえ、脂の美味さが際立ち、細めの蕎麦と良くあっている。因みに薬味は山椒の他に祇園の原了郭の黒七味もある。

かやくご飯も人参やこんにゃく、ごぼうなど存在感もあるが、全体的には優しい味に仕上がり、まさに京都にいるようである。ついているしば漬けまでも美味い。

鴨の脂があるため、熱いがついつい汁を飲む手がとまらない。12時を過ぎると急に店は混みだすが、男性客は年齢高め、女性も次々に入店し、すぐに店は満杯。カウンター席もあるため、一人での入店客も多い。

また、夜は鴨で一杯ができるような塩梅。王禄、七本槍、若波と銘酒の取り揃えや様々な鴨料理もあるようで、次回は是非夜に再訪したい。


中央区日本橋小舟町4ー10
0362062853

上池台付近の坂道(1)

2015-12-14 05:00:20 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その59。今回は大田区上池台周辺の坂道を歩く。都営地下鉄浅草線終点の西馬込駅で降りて新幹線・横須賀線の橋を目指す。

10分弱ほど歩くと馬込給水塔が見えてくるが、その横を通る道も結構急な上り坂、しかし、名前はない。その先を右に曲がると新幹線・横須賀線が下に走る橋、これを渡り左に曲がる。さらに次の道を右に曲がると左に下る坂道が現れるが、これがお目当の『猿坂』である。昨年は山羊坂しかなかったが、今年はちゃんと『猿坂』があることを発見、訪れてみた。

坂道は左に右にと折れながら墓地の脇を通る。猿坂の由来は江戸時代の新編武蔵風土記稿の林昌寺の項に『境内墓所の側に坂あり、猿坂と呼ばれる。昔、山林茂りて猿多く住みせし、故この是名あり』とある。江戸時代にはもう猿はいなかったのかも知れない。なお、東京では猿坂は他に発見できなかった。


猿坂の頂上に戻り、また猿坂と反対に行き、次の道を左折すると最初は緩やかだが、急な勾配になる坂道が現れた。これが『大久保坂』。


この辺りに昔、大久保という人の屋敷があったためこの名前が付いた。昭和初期の区間整理でできた坂らしいが、台地の上から前にあまり大きな建物もなく、目の前が開けている。

次に大久保坂を下るとバス通りが左右に走っている。バス通りを渡るとしばらくは平らだが、その先はまた上り坂になっており、バス通りが谷の底らしい。その先の坂の名前は『蝉坂』。この辺りはかつて蝉山といったのでこの名前になった。


それにしてもこの辺りの坂道は勾配も急でしかも長い。さらに名前がない坂も結構多く、坂巡りには歩きごたえのある場所である。(以下、次回)

カップヌードルミュージアム訪問記

2015-12-13 05:00:33 | 日記

横浜・みなとみらいにあるカップヌードルミュージアムを始めて訪問。実は大阪にいた際、池田市のインスタントラーメン発明記念館にはお邪魔したが、比較してこちらの規模にまずは驚く。

エントランスを入ると大きなカップヌードルがお出迎え。並んで入場券を買うシステムで、約45分後スタートのマイカップヌードル製作を予約することができたのでそれまで中の展示を見ることに。

まずは2階の『インスタントラーメンヒストリーキューブ』、今までの日清食品のインスタントラーメン・カップヌードルが全て並んでいる。最初のチキンラーメンが1958年、つまり小生と同い年なのである。



その後も1963年の日清焼きそば、1971年のカップヌードル、1971年どん兵衛と色々な商品のルーツを見る。いや、これらの商品と小生は年を重ねてきたような気分になる。


次に百福研究小屋や安藤百福ヒストリーなどを見るが、天ぷらから思いついた乾燥技術、カップヌードルの中空設計発想、マカデミアナッツのケースから思いついた発泡スチロールとアルミの蓋の組み合わせなど氏の発想のレベルには驚くばかり。ただ、実は池田の展示とあまり変わらないが。


さらに4階のバルコニーに行くと横浜港が一望でき、少し寒いが目の前のベイブリッジをはじめ、素晴らしい風景を見ることができる。


そうしているうち時間が来て、マイカップヌードル製作に入る。まずは300円白地のカップを購入、手を消毒し、周りに好きなデザインを書く。小生は夢のカップヌードルをテーマに『一富士二鷹三茄子』を描く。まずは麺を入れる工程、反対にして麺を入れる機械を見る。次いで具材とスープのコーナーに。小生はカレー味にしてガーリックチップ、炭焼きチキン、卵、カニカマを入れてもらう。そしてバッキングをしてもらい、出来上がり。中々の出来栄えだが、賞味期限は1カ月なので正月にでも食べるかな。

とにかく立派な施設で安藤百福氏の創意工夫の数々を再認識することができた。加えて、コマーシャルを上手く使っていたことを再発見、特に袋麺が40円の時代に100円のカップヌードルを売るために大胆なCMを作り、ヒット商品にしていったブランディング力には驚かされた。

猿に因んだ寺社を巡る

2015-12-12 05:00:39 | 日記

猿に因んだ寺社を巡る。最初に伺ったのは『栄閑院さる寺』、場所は東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩5分くらい、ちょうど愛宕神社の真裏に当たり。表通りから1本入るだけで静けさが漂う不思議な場所にある。

栄閑院は浄土宗の寺院で天徳寺の塔頭として江戸時代に建てらたもの。その周辺にも同様の寺院が並ぶ。解体新書で知られている杉田玄白の墓があることでも知られている。もちろん、墓にもお参りしたが、質素なお墓であった。


山門をくぐると右側に水子地蔵とは猿塚がある。


猿寺の言われは『昔猿回しが寺に来た際に住職の好意で寺に滞在することになった。するとこの猿回しが信心深く、また境内で曲芸を披露したのでさる寺と呼ばれるようになった』などらしい。そのためか、参道の左右には一対の猿の像があるが、いずれも高村光雲の老猿を彷彿させる厳しい顔をしている。


次に訪れたのが小野照崎神社、東京メトロ日比谷線下谷駅から3分くらいのところにある。今の時期はちょうどイチョウが黄色く色付いていて美しい。


この神社は小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道眞を祀る。元は上野にあったが、江戸時代の寛永寺建立の際にこの地に移された。猿がいるのはその境内にある庚申塚。因みに日本三大庚申の一つである。

庚申信仰とは中国の道教に由来するもの。人の体内に三尸(さんし)という虫がいて庚申の日の夜、人が寝ている間に天帝にその人の悪事を報告にいくと信じられている。これを避けるために庚申の日の夜は眠らず天帝や猿田彦を祀り、宴会や勤行をしたりする風習のことである。

庚申塚には『申』が干支の猿に例えられるため、三猿(みざる、いわざる、きかざる)を彫ることが多い。

その庚申塚には三猿を刻した石板が多数あることに加え、可愛らしい手をあわせる猿の石像も供えられている。

次の干支でもあり、かわいらしく信心深い猿の石像を見て、小生も思わず手を合わせて来年の多幸を祈った。