hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

べったら市に行く

2016-10-21 05:00:55 | 日記

べったら市のシーズン到来。10月19日〜20日に小伝馬町駅の近くにある寳田恵比寿神社の恵比寿講のために立つ市で、慶長年間から続く由緒正しい行事である。普段は無人で境内もない小さな神社であるが、この日と七福神を回る人の多いお正月だけは脚光を浴びる。

元は商家が恵比寿講を行なうのに必要な道具や供え物を売る市が始まり。べったら漬けは大根を甘酒の麹に漬けた浅漬けで皮なしと皮ありがあるが、いずれも甘く淡白な味が好まれ、沢庵と異なり厚く切って食べる。老舗の店では酒のあてに出す店が多く、駒形どぜうにもある。べったら市ではその名がついたほどの人気があるが、実は意外に値段は高い。


我が事務所から7、8分歩いたところにある寳田恵比寿神社から椙森神社にかけて400もの露店が並び、名物のべったら漬けを中心にありとあらゆる食べ物(たこ焼き、お好み焼き、カバブ、綿あめ、焼き鳥、鮎の塩焼き、焼きそば、手羽先餃子などきりがない)さらに瀬戸物、手ぬぐいからはては金魚すくいとひしめき合っている。平日の昼間というのに近所のOLが屋台で焼きそばを頬張り、商店主が焼き鳥と日本酒で盛り上がっている。


椙森神社近くには人形町の芳人会の人たちが出しているべったらの屋台や地元の名店の露店などが、人気を博している。今半の筋の煮込みや小春軒の洋食、その中で一番並んでいるのは魚久の魚の粕漬け。長い列が出来て切り落とし(700円)、4人家族(800円)などが人気。もちろん、小生も切り落としをゲット。



少し暑いくらいの日差しの中、心地よい秋の午後を楽しむことができた。


三鷹台駅(1)

2016-10-20 05:00:27 | 日記

『井の頭線気まぐれ各駅停車』第3回は三鷹台駅周辺を歩く。三鷹台駅は最近改修工事を終えて窓には百合のステンドグラスが入るなどおしゃれになっていた。また、神田川と反対側の三鷹台通りは道幅を広げる区間整理を始めている。


位置的には三鷹市に駅舎は位置しているが、ほぼ杉並区との境にあり、さらに坂を登り左に曲がると武蔵野市と微妙な所である。


駅を降り、北側に行くとすぐに神田川が流れていて、川沿いは散歩コースになっており、すぐに井の頭公園の入口に到着する。


神田川を逆に久我山方面に歩くとこの辺りからは桜並木となり、桜のシーズンは見事な風景が高井戸、さらに浜田山あたりまで伸びている。


駅まで一旦戻り、北側に向かうと、立教女学院がある。幼稚園〜短大までが併設されている。坂を登り左手に行くと正面玄関に到着するが、歴史を感じるチャペルや校舎があり、綺麗に刈り込まれた芝生と共に学び舎の厳粛な雰囲気を醸し出している。



因みに立教女学院は杉並区久我山に位置し、地図で見るとそこだけ飛び出したようになっている。
駅周辺にはかつては大邸宅が多く並んでいたが、今は低層マンションに変わってしまっているところも散見。しかし、今でも静寂や住宅街は健在である。(以下、次回)

ブラザーズ〜人形町ランチグルメ

2016-10-19 05:00:13 | グルメ

今日のランチはハンバーガー、ただ、マクドでもロッテリアでもなく、人形町にあるブラザーズという専門店に。もちろん、オーダーを聞いてからハンバーガーをつくる仕組みで夜はアルコールもOK。人形町駅にも看板が出ていて前から気になっていたが、近くを通ったので入店した。

店は赤く塗られ、中はまるでアメリカのハンバーガーショップ。ディスプレイもアメ車のナンバープレートやハンバーガーのおもちゃなどがあちこちに飾ってある。注文はハンバーガーランチにオニオンリングを2つ、コーラといった一般的なメニューをオーダー。(税込価格1134円)


待つこと7分、プレートに乗せられたハンバーガーが到着。紙の袋に入れて食べる仕組みだが、ハンバーグにフレンチマスタードとケチャップを少々。あとはピクルスを挟み、袋に入れてがぶりと行く。今高いレタスがたっぷり入り、オニオンとトマト、ハンバーグは厚めで肉汁が出る。ブラックペッパーが効いて美味い。

付け合わせは定番のフレンチフライ、太めでしっかり揚げられ、味付けもいい。合わせてオニオンリングがメニューにあるのも嬉しい。

一気に食べるが、やはりM社と異なり食べ応えあり。出来ればビールをグイッと行きたい気分であるが、今日はコーラで我慢である。


ブラザーズ人形町本店
中央区日本橋人形町2ー28ー5
0336395201

井の頭線トリビア(3)

2016-10-18 05:00:53 | 日記

『鉄道シリーズ』その156。井の頭線トリビア第三弾である。
トリビアその5、『井の頭線は朝のラッシュで先頭2車両が後ろ3車両に比べて大混雑するが、これはなぜか?』これは他の私鉄各線にもよくあることだが、ことに井の頭線は顕著である。その理由は単純で乗り換え駅である明大前、下北沢、渋谷は全て前側に改札口があるからである。(後ろ側にあるのは吉祥寺のみ、ちなみに改修中の下北沢駅は多少前後に移動することがある。)

それならば他の駅の改札口はどうなのか。(渋谷駅方向に向かって)井の頭公園、三鷹台、池の上、浜田山は後ろ側。久我山、富士見が丘、高井戸、西永福、永福町、新代田、東松原は真ん中、神泉は前側。一方、乗り換え駅以外で2つ改札口があるのは駒場東大前駅のみである。なぜ駒場東大前駅だけ2つの改札口があるのか。

これは駒場東大前駅の設立に絡んでいる。周辺にはかつて東大前と駒場の2つの駅であったが、1965年に駅間が近いという理由から両駅のほぼ真ん中に新駅を作ったものである。つまり、それぞれ元の駅に近い方に改札口を作ったため前後に改札口がある。ちなみに井の頭線開業時以来、廃止になった駅はこの東大前と駒場の両駅のみである。

トリビアその6。『井の頭線開業時、京王線との乗換えは同じ駅では行われていなかった。』
1913年に京王電気軌道が開業した頃は明大前という名前でなく、火薬庫前(1917年に松原に改称)駅で今から300メートルほど下高井戸寄りにあった。一方、1933年井の頭線開業時には西松原駅(現在の明大前の位置)として開業し、1935年に明治大学予科ができたことから明大前に改称した。(ちなみ駅名にあった『火薬庫』とは江戸時代に幕府の煙硝蔵があったことに由来、その後も日本陸軍が管理していた。関東大震災後、被災した築地本願寺の墓地が跡地に移転してきている。)

このため、京王線から帝都電鉄への乗換えは松原駅で下車して、300メートル歩き、西松原(明大前)駅で帝都電鉄に乗換えたのである。現在のように一つの駅になったのは2年後の1937年のことである。


富山はま作〜日本橋ランチグルメ

2016-10-17 05:00:56 | グルメ

今日はある出版社の帰りに日本橋とやま館(富山県アンテナショップ)の中にある和食レストラン富山はま作でランチを頂く。まだ、出来立てのアンテナショップはさすがに綺麗。はま作は他のアンテナショップ内の食堂のようにフードコート並みのそれと異なり、ちゃんでしたテーブル席が並ぶ。

1人のためカウンター席に通されるが、目の前では板さんが刺身定食をせっせと準備中。甘エビも美味そうだが、今日は氷見うどんの定食(1480円)をお願いする。

実ははま作は東銀座でかつては定員10名程度の小さな店をやっていたが、アンテナショップオープンと同時にこの場所に移ってきた。


左の人はわっぱ飯、その隣の人は天ぷら定食、こちらも中々そそられる。しかし、今日はこの限定20食のうどんと寿司の定食にする。10分ほど待たされてうどん、マス寿司、小鉢、漬物が乗せられた定食が到着。

うどんは澄んだツユでおぼろ昆布とカマボコ2切れ、かき揚げが乗っている。添えられた七味を振り、まずはうどんから。細いめんは喉越しがよい。カマボコも昆布が巻いたものとオレンジ色の渦巻きの2種類、いずれも富山らしい。

小ぶりのかき揚げもツユを吸っていい感じ。ツユは上品な透き通った少し甘め、出汁がよく効いている。いや、これがスルスルとよく入る。

マス寿司は2切れ、伝統の味は醤油もいらない。また、小鉢の魚の南蛮漬けも味が変わり美味い。あっと言うまに平らげる。少し高めだが、三越帰りの奥様にも人気のようである。ごちそうさまでした。


富山はま作
中央区日本橋室町1ー2ー6日本橋とやま館
0335163011

井の頭線トリビア(2)

2016-10-16 05:00:36 | 日記

『鉄道シリーズ』その155。引き続き、井の頭線トリビアをいくつかあげてみたい。
トリビアその3、『井の頭線車両のレインボーカラーには順番があるのか?』

井の頭線車両には「ブルーグリーン」「アイボリーホワイト」「サーモンピンク」「ライトグリーン」「バイオレット」「オレンジベージュ」「ライトブルー」の7色、つまりレインボーカラーの編成がある。実はこの順番に製造して行くのでほぼ各編成とも同じ数が製造されている。現在は29編成あるため、ブルーグリーンのみ1編成多かったが、後述のレインボーカラーに代わっている。

このようにカラーを使うようになったのは現在の形式の一つ前である3000形の時からでそれ以前は全て緑一色の車両であった。

トリビアその4、『1編成のみあるレインボー電車には他の編成にない設備がある』
井の頭線には2012年10月より特別ラッピング車両が1編成のみ運行されている。実は先ほどのレインボーカラー7色を5両の車両にグラデーションで塗装、正面はホワイトとなっている。元は1年間の限定で運行されていたが、人気を博しているたも延長、今も走っている。このアイデアは1人の乗務員が出したとのこと。

各車両には沿線のステッカーが5つ(ハチ公、井の頭公園、神田川、アジサイ、桜)貼られており、子供たちには人気がある。

さらに、もう一つ他の編成と異なるのは吉祥寺側の端の車両の最前部にあるつり革がなんとピンクのハート型なのである。

毎日使っているから、井の頭線を知ってると自負されている方もこれは中々知らないトリビアではなかろうか。
(以下、次回)

停電時の車掌の対応

2016-10-14 05:00:52 | 日記

12日はあまり付きのない日だったのかも知れない。内部の事務がたまり、四苦八苦している中で頑張って営業にと午後に遠出した。西武池袋線池袋駅発15時20分発の急行飯能行きに乗り、座って一息。電車は石神井公園、ひばりヶ丘、所沢と停車し、目的地はその先にあった。

電車は最初の停車駅『石神井公園』に15時29分に定時で到着、しかし、ドアが閉まらず、『練馬付近で停電が発生したため、少し止まります。』とのアナウンス。大したこともないなあと思っていると15時45分頃に『練馬駅付近で停電が発生、東京電力からの電力の供給が止まっている』と改めてアナウンス。これではやむを得ないと自社の担当者に連絡、待つことにした。

車内は全て座席が塞がり、1車両ごとに10〜20人立っている状況。するとまたアナウンスが入り『停電の解消には時間がかかる見込みです。お立ちのお客様は隣のホームに停車中の車両にお座りになってお待ちください。急行が発車するときにはご連絡申し上げます。』隣のホームを見るとガラガラの各駅停車が止まっている。私は、この車掌の気の利いた配慮に感心すると共に感心した。
しかし、その後も全く電車は動く気配はなく、16時を過ぎた頃に再びアナウンス。『毎回同じご報告で恐縮です。練馬駅付近で変電所のトラブルから東京電力から電力が供給を受けることができない状況です。そのため、復旧の目処をお伝えできないのですが、新しい情報が入りましたらお伝え致します。』他の鉄道会社でも情報を入れてくれる会社は多いが、同じ情報しかないのを重ねて言うことが多く、もう聞き飽きた情報であると逆に腹がたつものだ。しかし、この辺りを配慮するこの車掌の対応には再び感心した。

ついで『停電の解消はしたが、安定的な電力が確保できない』『ようやく、発車準備に入った』と言った細かい情報が流され、ついに16時40分くらいにはようやく動き始めた。
西武鉄道が原因ではないが、細かい情報の提供、隣の車両の座席への誘導といった車掌の対応には事故で1時間以上缶詰にされ他にも関わらずそれほど腹も立たなかったのはこのサービスのおかげかもしれない。
社員教育の賜物なのか、個人の力なのかは分からないが、珍しく乗務員の配慮に感心した。

お茶の水橋

2016-10-13 05:00:35 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その10。今回は聖橋に続き、お茶の水橋を渡る。お茶の水橋はその名前の通り、御茶ノ水駅前から神田川に架かる橋である。

ちなみに『お茶の水』とは地名ではない。江戸時代に2代将軍秀忠が近くにあった高林寺の湧水で入れたお茶が気に入り、そこからお茶の水の名前がついた。今もお茶の水という地名はなく、JRの山手線内側にある駅では鶯谷とお茶の水くらいしか地名に基づかない駅名はない。

聖橋の際にも触れたさだまさしの檸檬の2番の歌詞に『君はスクランブル交差点斜めに渡りながら不意に涙ぐんで、まるでこの街は青春たちの姥捨山みたいだという』という一節があるが、その交差点がまさに御茶ノ水の上あたりにあり、私もこの歌を思い出しながら某予備校に通っていた。

お茶の水橋は1891年に日本人設計の初めての鉄橋として架けられたが、関東大震災で橋板が木製のため焼失。今の橋は鋼製ラーメン橋として1931年に作られたもので作られてから85年になる。

今も歩行者、自動車ともに多くの人が利用している。特にJRから東京メトロ丸ノ内線への乗り換えや東京医科歯科大・順天堂大病院へ行く人は必ず通る重要な橋である。

千川駅〜要町駅(2)

2016-10-12 05:00:38 | 日記

『メトロに乗って』その40。前回に続き、東京メトロ有楽町線千川駅から要町駅までを歩く。親水公園を左に曲がると住宅地、この辺りは比較的区間の大きな家が多い。2本先の道を右に曲がる。すると突然に『ビッグ築地』の幟を発見。

巨大な鮮魚・肉類・青物を扱う業者で特に鮮魚が有名。中に入ると安さと共にワンパックの大きさに驚く。『アジ7尾 1000円』『穴子開き10尾1460円』などなど。これでは我が家の間尺にあわないと退散したが、鮮度は高く、値段が安いのはよく分かる。

ビッグ築地の先の細い道を右に曲がると千早公園の前に出る。その先2ブロック目を左折するとすぐに熊谷守一美術館がひっそりと立っている。守一は1880年生まれの画家で、1932年より亡くなる1977年まで45年間もこの地にあった借家住まいであった。


油絵を手始めに彫刻、書も行なったが、還暦過ぎの輪郭と平面による独特なスタイルが有名。1階と2階は展示室で3階では守一の次女で館長の榧さんの個展も行われていた。若い頃の写実的な自画像と独特なタッチの自画像が展示してあったが、若い頃の作品も素晴らしい。


晩年は足が悪く、スケッチもままならなかった。その中で庭のアリや鷽、猫、アゲハチョウ(絶筆)など味のある作品を多数展示してある。

人も少なくじっくりと静かな美術館で見るのはいいものだ。現在は個人での運営が難しいため、豊島区に寄贈され、豊島区立の美術館となっている。

美術館を後にしばらくまっすぐ歩くと要小学校の前に出る。そして、要町通りをしばらく右に向かうと要町駅である。

千川駅〜要町駅(1)

2016-10-11 05:00:52 | 日記

『メトロに乗って』その39。今回は東京メトロ有楽町線千川駅から要町駅までを歩いてみた。地下鉄有楽町線は1974年10月に池袋〜銀座一丁目間で開通、その後、両端とも延伸を図り、80年3月銀座一丁目〜新富町、81年6月池袋〜営団成増(現在、地下鉄成増)、83年6月新富町〜新木場が開通した。また、副都心線も2008年に開業、この区間は2路線が並行して運行している。


千川駅の名前は地名である豊島区千川から取ったものではあるが、実は駅周辺は要町。駅を上がると目の前に要町三丁目の交差点に出る。この交差点は要町通りと千川通りが交差するのだが、その一本手前の道を左折する。


少し行くと長い園地というか、緑道が出てくるがこの下が旧千川上水、今は暗渠となっている。しばらく歩くと左に曲がるが、この辺りからが千川親水公園、親水公園とはいうものの瓢箪型の池にはあるが、水はなかった。


千川上水の説明の看板が残されているが、それによると千川上水は江戸時代元禄頃に整備された江戸6上水の一つで多摩仙川村の徳兵衞、太兵衞の2人が開削にあたり、1696年に完工、この2人はその功により苗字が認められた。その際に『仙川』を縁起の良い『千川』にしたのでその苗字を取って千川上水と呼ばれた。つまり、千川上水の千川=仙川なのである。玉川上水の境橋から分かれた千川上水はその後農業用水として使われることも許され、武蔵野台地の田や畑を潤すことになった。

その先に千早高校があるが、この都立高は池袋商業と牛込商業が2004年に併合改組したビジネスコミニュケーション科を持つ高校。

面白いのはすぐ近くに都立豊島高校、都立板橋高校もあり、徒歩5分程度のところに都立高が3校もあることになる。
(以下、次回)