hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

永久欠番

2017-05-21 05:00:50 | 日記

大リーグヤンキースではジーターの背番号2が永久欠番となり、これで1桁の背番号が全て永久欠番となった。これを聞いて、さすが名門球団でこれだけの選手を輩出してきたのかと感心した。

特に有名なのは3-ベーブルース、4ールー・ゲリック、5ージョー・ディマジオ、6ートーリ監督、7ーミッキーマントルなどだが、1〜10、15、16、20、23、32、37、42、44、46、49、51と21もの数字が永久欠番があり、現役の選手が付けられる番号が限られるほどである。

また、大リーグでは全球団共通の永久欠番としてジャッキー・ロビンソンが付けていた42を決めている。彼は近代野球になってから初めての黒人大リーガーであり、1944年から1656年までドジャースに在籍した名選手である。

では、日本はというとやはり巨人の永久欠番が多い。1ー王貞治、3ー長島茂雄、4ー黒沢俊夫、14ー沢村栄治、16ー川上哲治、34ー金田正一と6つある。後の中で4ー黒沢俊夫とあまり知られていない選手も欠番となっている。

これは巨人の永久欠番の制度自体が戦死した沢村と混乱期の巨人を支え、現役のまま病に倒れた黒沢への感謝の意を表そうと1947年に選手が決めたものだからである。

他球団では広島は3ー衣笠、8ー山本浩二、15ー黒田の3つ、中日は10ー服部、15ー西沢の2つ、西武はその前身である24ー稲尾を欠番にしている。

我が阪神タイガースは10ー藤村富美男、11ー村山実、23ー吉田義男の3つが欠番である。彼らは改めてコメントはいらないくらいの名選手ばかりだが、敢えて書くと藤村は『物干しざお』と言われた長いバットを駆使して創成期から活躍した強打者、村山は222勝、通算防御率2.00の名投手、吉田は名ショートとして活躍し、牛若丸と称せられた名内野手である。
面白いのは楽天イーグルスで10番を欠番としている。これは選手ではなく、スターティングメンバーに次ぐ10番目の選手、すなわちファンを欠番と称しているからである。

これらの欠番となった選手をよく見ると殆どが1チームに在籍した、いわば生え抜き選手で、金田正一のみが国鉄と巨人の2球団(戦後の混乱期、創成期を除く)に渡りあるいている。いわば外様の選手であっても400勝という偉業を成し遂げ、掴み取った栄光なのかと金田投手の偉大さを改めて実感した。

それにしてもあまりに欠番が多く、選手がコーチのような番号をつけざろう得なくなるのも如何なものかと考える面もある。

六三四〜茅場町グルメ

2017-05-20 05:00:13 | グルメ

人形町もいいが、茅場町にもいい店は多い。今日の店は門前仲町から昨年秋に茅場町に移った『六三四』(むさし)という居酒屋さん。店の場所は鳥徳の隣といえば左党にはすぐわかるだろう。

店の入口にはスギ玉あるのですぐわかる。店はまだまだ新しくお店の人も若い人が多いが、サービスはいい。今回初めてということもあり、酒肴を中心とした月替わりのショートコース(3000円)をお願いする。


最初は暑いので生ビールで乾杯。スタートは山芋の酢の物、さっぱりいただく。ビールも美味い。


次にお造りが登場、酒に移るが、最初はシュワッといずみ橋トンボスパークリング(神奈川県)をお願いする。切れ味もよく、最初の日本酒にはいい。

お造りは白ミル、マグロ、白身(スズキかな?)、いずれも美味いが、特に白ミルは最高。
次につぼ鯛の味噌漬け、浅漬けだが酒のつまみにはちょうどいい。最後に皮をいただくが、脂が乗っていて美味い。


酒は仙禽(栃木県)に移る。酒を変えるたびにぐい呑も変えてくれ、気持ちがいいサービスである。次は鴨ロース、新キャベツに梅ドレッシングがかかり、さっぱりいただく。

次の酒は山の壽(福岡県)を注文、稚鮎とフキノトウ、山ウドの天ぷらが登場。藻塩でいただくが、ほろ苦い味が酒に合う。コース最後は蕗味噌とクリームチーズの味噌漬け。



これでは足りないので『やまと豚のグリル』『マグロのなめろう』を追加、酒も最後は贅沢にと無濾過の『十四代』(山形県)を注文する。


やまと豚はカリッとふんわりが調和、味噌味がいい。最後に脂がよく乗ったマグロを食べて今日は終了。周りを見るといつの間にか満員、特に女性が目立つ。なるほど料理も繊細で、店の人のサービスもいい。また、一軒使える店を見つけた気がした。

日本酒蔵 六三四
中央区日本橋茅場町2ー5ー8
0366670667

竹橋

2017-05-19 05:00:19 | 日記

『ぶらり橋めぐり』その46。今回は竹橋を渡ってみる。東京の地下鉄の駅には『日本橋』をはじめ、『京橋』『浅草橋』『飯田橋』『水道橋』と橋のつく名前が多い。その中で今回はあまり渡った記憶がない竹橋に向かう。東京メトロ東西線竹橋駅を降りて1a口から外に出るとすぐ前に竹橋はある。

国立近代美術館に向かう代官町通り沿いの白いアーチ型の橋で、下を流れているのは外堀(清水濠)である。橋の袂には園地があり、ここからは隣の平川門橋や竹橋がよく見える。



竹橋の由来は徳川家康が江戸城入場以前にあった橋が竹を編んだ橋であったという説、北条家家臣在竹三郎が近所にいたため在竹橋と呼ばれていたのが変じたという説などがあるが、いずれも決め手を欠く。現在の橋は関東大震災後の復興計画に基づき大正15年に作られ、これを補修した美しい白い橋である。

橋を渡って反対側に行くと竹橋御門跡の記念碑がある。江戸時代には枡形門があったようだが、今は跡を残すのみである。


今はその名前の由来すらわからない竹橋であるが、江戸時代には旧江戸城曲輪15門の1つであった。いまはジョギングコースとなっており、竹橋から緩やかな坂となっている。

長崎飯店高田馬場店(再訪)〜高田馬場ランチグルメ

2017-05-18 05:00:49 | グルメ

以前に東京のちゃんぽん・皿うどんの名店を歩いて回ったが、高田馬場に行ったついでに長崎飯店高田馬場店を訪問。前回に行ったのが、2015年5月。その時は皿うどん(太麺)をいただいたが、今回はちゃんぽん(800円)を注文。

注文から到着まで5分程度、大ぶりのどんぶりにたっぷり。野菜はもやし、キャベツ、きくらげ、玉ねぎ。魚介はアサリ、イカのげそ、エビ。さらにちゃんぽん特有の赤いかまぼことさつま揚げなどが入っており、ちゃんぽん麺は長崎から取り寄せている本格派。

スープは海鮮と野菜の出汁が効いていてそれほどとんこつは感じられない。

これだけ具沢山のアツアツのちゃんぽんを殆どクーラーの効かない店で食べるのだから、汗が吹き出し、それは大変。しかし、美味い。

高田馬場駅近くの雑居ビルの地下にある小さな店だが、12時前には満員。聞いているとお客さんが注文するのはちゃんぽんと皿うどんが約半々みたいである。おじちゃんとおばちゃんがいい味を出しているお店、引き続き長く続くことを心から祈りたい。いや〜美味かった、ごちそうさま。

長崎飯店高田馬場店
新宿区高田馬場2ー18ー6柳家ビルB1
0332080915

中井の坂道(2)

2017-05-17 05:00:08 | 日記

『江戸の坂、東京の坂』その82。前回に続き、中井の坂道を巡る。林芙美子記念館の前の中井通りを歩くが、このあたりは古い家と低層のマンションが混在している。元は農地であったが、西武新宿線が開通した1927年ころを境に転入者が増加し、住宅地となったためであろう。 そのため、坂の上の道路はくねくねと昔の農道のままである。


五の坂はその先だが、坂の上り口に昔町会で作った『五の坂』の味のある看板が残されている。実は以前にはほぼ全ての坂道にこの看板があったと記憶しているが、今残るのはあと『六の坂』『七の坂』のみである。


六の坂、七の坂と登るが、だんだん足が疲れてくる。住宅地の坂のため、それほど特色はないが、六の坂は若干広く、交通量が多い。



最後の八の坂はダラダラと最初は登り、御霊神社の大きな木が見えるあたりからは勾配がきつくなる。そして、坂の頂上に鳥居がある。


鳥居をくぐり、お参りをするが、御霊神社は地区の氏神であり、狛犬は江戸初期である1715年の元号の銘があり、新宿区では最も古い狛犬とされ、区の文化財に指定されている。社殿もこじんまりはしているが、江戸時代に使った雨乞いの筵旗も残されているなど歴史を感じさせられる神社である。



これで中井の全ての坂を歩いたことになるが、1〜8の番号がなぜこのように坂に順につけていったのかの詳細はわからない。しかし、中井(もっというならば中井二丁目)の住民は銘板を作るほどこれらの坂を大切にしていたようである。

中井の坂道(1)

2017-05-16 05:00:47 | 日記

『江戸の坂、東京の坂』その81。東京の坂道をずいぶん巡ってきたが、新宿区中井には他にはなかなか無い坂道がある。というのは山手通りから垂直に走る中井通りを底として8本の坂道がほぼ平行に並んでおり、しかもその名前が『一の坂〜八の坂』まであるのだ。

西武新宿線中井駅は山手通りのちょうど下に位置し、西武新宿線、妙正寺川と略平行に中井通りがある。この坂を一の坂から順番に1つずつ訪ねてみた。


一の坂は中井通りよりやや北側の山手通りからぐにゃりと曲がるように上っていく狭い坂道である。途中には児童公園があり、そこからは山手通りを一望できる。実は元は駅前から放射状に一の坂、二の坂とあったが、山手通りの改修に伴い道の形が変わってしまったようである。


一の坂を降りて中井駅方向に行き、右斜めにのぼるのがか、二の坂、この坂は別名蘭塔坂と呼ばれている。蘭塔とは卵型の僧侶の墓石のことで、かつてこの辺りには寺が多く、蘭塔が並んでいたのでこの名前が付けられたらしい。



中井通りを少し歩くと三の坂、この坂を上ったところには法華宗獅子吼会という大正時代に設立された宗教法人がある。


中井通りに戻り、先に行くと右側に林芙美子記念館が見えてくるが、その手前の石段の坂道が四の坂である。記念館は林芙美子の旧宅を改装したもので、今回は中に入らなかったが、屋根や石蔵は外からも見える。


彼女が中井に暮らし始めたのは1930年頃で当時はまだ人通りも少なかったようである。旧宅は1941年に新築したもので庭の木立も当時のまま、そして1951年に亡くなったのである。(以下、次回)

万世橋

2017-05-15 05:00:11 | 日記

『ぶらり橋めぐり』その45。今回は神田川に架かる万世橋をわたってみる。万世橋はJR秋葉原駅から至近の場所にあり、かつては国鉄と東京地下鉄道にこの橋の名がついた駅があった。

まず、国鉄万世橋駅だが、中央線神田〜御茶ノ水にあった。当時このあたりは神田市場で賑わいを見せていたのだが、甲武鉄道が官営になった1912年に東京駅同様赤煉瓦造りの立派な建物の駅ができた。駅前には広場があり、そこには日露戦争の英雄広瀬中佐と杉野兵曹の銅像があった。

しかし、関東大震災で駅舎は焼失、簡素な駅舎は建てられたが、近くに秋葉原、神田駅ができたこともあり、1943年に休止駅となった。戦後、占領軍により銅像は取り壊され、駅跡に交通博物館が作られた。しかし、2006年に埼玉県さいたま市に移転、現在はJR神田万世橋ビルとなっている。

一方、地下鉄万世橋駅は上野から新橋への延伸工事が行われる際に神田川に川底を通すなど当時としては難工事であったため、万世橋交差点の地下あたりに仮駅として作られたもの。しかし、勾配の途中にあるなど駅として問題があったため、通常の駅には昇格せず、1930年から1年11ヶ月のみ存在した。

万世橋の現在の橋は1930年に地下鉄工事に伴いアーチ橋に架け替えられたもので長さ26m、幅36mある。よくみると欄干の袂(公衆便所の下あたり)には機械室や船着場があるが、これも地下鉄工事に関わるものである。

JR万世橋駅跡は現在はmAAchマーチエキュート伴いいう名前の商業施設に変わり、駅のホームの位置には飲食施設を作り、その両側を総武線や中央線の電車が行き来する鉄道マニアには外せない場所になっている。

万世橋といえば『肉の万世』に名を残すくらいになってしまったが、現在も橋自体は立派な親柱を有して堂々とした風格を維持している。昔、落語のネタに与太郎に『お前さんのバカはどうにもならない、慢性(万世)のバカだね』というと与太郎が『じゃ、次は須田町か』と返すものがあるが、都電が消えた今ではそのシャレがわかる人も少なくなったであろう。(都電の停留所は万世橋の次が須田町だったのである。)

なお、もし機会があれば万世橋交差点に立ち、四方を見てもらいたい。というのは東西南北どの方向を見ても道路は電車のガードにぶつかる。こういう場所もなかなか珍しいのではないか。


雷庵〜渋谷グルメ

2017-05-14 05:00:41 | グルメ

ブログにグルメ情報を結構載せて久しい。しかし、小職の拙ない紹介しかできていないグルメ情報も意外に人気を博しているのに驚くことがある。また、そのお店のある場所は日本橋、神田、四谷などが多く、これに吉祥寺や西荻窪が続く。逆にふと見ると渋谷の店が少ないのに気がついた。だからということもないが、今回は渋谷の蕎麦屋というかダイニング『雷庵』、こう書いて“ライアン”と読ませる。

別にヤクルトのピッチャー小川のファン御用達ではないらしい。その正面に立って、こんな蕎麦屋初めてというカッコイイ店である。私は神宮球場で野球観戦の帰り、汚いラガーシャツにジーパンという出で立ち。しかし、店の入口にはいわゆる黒服の人がいて席に案内してくれる。店は時間も6時とまだまだガラガラだが、妙に照明が暗い。カウンターに通されるが、目の前がオープンキッチン。まずは飲み物から、ビールは飲みすぎたので日本酒飲み比べセットを2つ。料理は鴨ロース、刺身2種類盛り合わせ、だし巻き、桜エビとそら豆のバラ揚げをお願いする。

まずは飲み比べが到着、私が『播州一献、飛露喜、風の森』、連れ合いが『鍋島、手取川、津島屋』これが高さ5センチくらいのグラスに注がれて登場。まずは飛露喜から飲むが、当たり前に美味い。酒のセレクトもなかなかいいが、これで2000円はやはり渋谷価格。

カウンターの中では鴨ロースを作るのがよく見え、すぐに出される。味付けも美味い。次に刺身の盛り合わせ、スミイカとイサキを注文、つけ醤油と藻塩、生姜と山葵と完璧。量は少ないが、いずれも合格点。カウンターから見て一つ後ろの人はだし巻きを焼いており、これもアツアツが提供される。


そのうち、酒も空になり、私は瀉樂を注文、連れ合いは伯楽星。これはワイングラスで提供される。そうしているうち桜エビとそら豆にバラ揚げが登場。天ぷらの衣を纏いながらバラバラに揚げたものだが、結構量もある。豆の甘さも軽く振られた塩にマッチしていて美味い。

ふと気がつくとお隣に年の離れたカップルが登場。男は若く、どう見てもホスト、同伴のようである。大して気にもしていないが、なんとなく会話も弾んでいない。


最後にニシン蕎麦を注文。しかし、これがいけない。ニシンの甘露煮は自家製なのか、煮方が甘く、やや生臭い。しかもツユが辛すぎ、肝心の風味が感じられない。連れ合いのもりそばもツユにかえし効いておらず、イマイチ。やはり、ダイニングバーとしてはいいけど、蕎麦屋としては?と思った。

私のような使い方をするにはコスパが感じられないが、お隣のようなカップルで来るならありかもしれない。ということは私には渋谷はあまり水が合わないのかな、と感じて店から早々に引き上げた。

清水橋と大沢橋

2017-05-13 05:00:44 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その44。深大寺から味の素スタジアムに向かう途中に野川に沿った道を行く。

野川自体は国分寺市にある日立中央研究所内を源にして周囲の湧き水を集めながら小金井市、調布市などを流れている川で護岸工事は行われているが、川に沿った道は川のすぐそばまで降りることができる。

歩いているうちに出くわしたのが清水橋。上流も下流も川の土手には菜の花が咲き乱れ、その中を川がさらさらと流れている。

まるで童謡『春の小川』のような風景で河原にはお弁当を広げる親子連れも見つけることができる。

橋を渡り、対岸を歩くが川のそばを歩く人が絶えずいる。川の中にはカモがいて、何がいるのか、餌をさがしている。

川沿いを歩くと紫陽花が植えられ、川の近くにはいくつもの低木が生えている。しばらく行くと天文台通り、ここには大沢橋が架けられている。

スタジアムにはここを曲がるが、時間があればさらに歩いてみたくなる東京とは思えない川である。




麺くま〜久我山グルメ

2017-05-12 05:00:11 | グルメ

色々な場所のグルメを紹介してきたが、最近は地元久我山にもグルメスポットが増えてきたのでまずは1件目。井の頭線久我山駅前に昭和21年からあった大衆食堂『久江』が店じまいして、その後に『拉麺 麺くま』が2ヶ月ほど前に開店。しばらくの間は混雑していたが、ようやく入れる状態になったため、行ってみた。店主とバイトの2名体制でやっており、壁に向かったカウンター10席のみのお店。

まずは券売機で食券を購入するのだが、選択肢が多く、結構悩みながら『ネギラーメン大盛』(950円)を選ぶ。

全てセルフサービスとなっており、食券を渡してしばし待つ。次々と番号で呼ばれるのだが、これは座った席の前の番号。

7分ほど経過して『1番のお客様、ネギラーメンが上がりました』と呼ばれ、ラーメンを取りに行く。丼は小ぶりだか深く、白髪ネギと白ネギ・青ネギの小口切りがたっぷり載せられている。

まずはスープ、魚介系とトンコツのミックスに醤油の味付けをしたようだが、あまり自己主張は強くない。麺はやや細めのストレート麺、食べると喉越しがいい。ネギと共に小さいチャーシューも入っているのを発見。食べるうちにスープはあっさりながら結構美味い。食べ続けるうちに少しインパクト不足と感じられ、辣油を足すがこれがいい。

刻みニンニクも備えてあるが、これもありかなと思う。大盛だけに1.5人前は麺が入っているが、すんなり食べ終わる。この店のつけ麺も美味いかなと思っていたらちょうど隣の席の学生風の男性が注文。食べていたが、つけ汁がかなり赤く、水をひっきりなしに飲んでいるのを見て辛いかもしれない。ともかく、ごちそうさま。(食べログでは掲載保留となっていますが、営業中です。)

麺くま
杉並区久我山5ー7ー19