映画「パラレル・マザース」を観た。
ジャニスには、ふたつの大きな悲しみがある。ひとつは娘のことだ。産院で取り違えられた自分の娘が死んでしまい、間違えて育てていた他人の娘を本来の母親に返した。二人の娘との別れの悲しみは、心に大きな喪失感を残したに違いない。
もうひとつは祖先のこと。スペイン内戦は組織と主張が入り乱れていて、誰が善玉で誰が悪玉と決めつけられるような単純なものではなかった。国と国民を自分の思うようにしたいという独善的で不寛容な人間と組織ばかりだったのだ。国中で暴力や拷問、殺戮が起きていた、不幸な時代だった。
内戦が終わっても、ファランヘ党を率いる総統フランコの独裁体制が続き、非暴力と寛容を願う人々は、暴力と不寛容によって拉致され、処刑された。ジャニスの祖先はまさに処刑された人々である。独裁体制は1975年にフランコが死亡するまで続いた。
ジャニスの願いは、無惨に殺された曽祖父をはじめとする祖先たちの遺体を掘り起こし、名誉を回復させてきちんと埋葬することだ。祖先たちに関する記憶はないが、スペイン内戦の悲劇については学んだし、調べもした。
この願いが、娘をふたりとも失った喪失感で一杯だったジャニスに居場所を与えることになる。物語はジャニスの精神性を中心に動いているが、結局は周囲の人々の思いやりが、ジャニスを救っている。それはジャニス自身が周囲に対して思いやりを発揮し続けてきたからだ。情けは人の為ならず、なのである。
取り違えられたもうひとりの母親はジャニスの半分の歳だ。二十歳と四十歳の会話は噛み合わない。二十歳のアナはまだ視野が狭くて自分のことだけで精一杯だから、歴史の悲劇など理解できない。
しかしアナも母親だ。同じ母親としてのジャニスの悲しみについては、共感するところがたくさんある。自分は身勝手で、ジャニスに対する思いやりが足りなかったと反省するところは、二十歳ならではの瞬発力である。
複雑に見えた物語も、やがて収斂して大団円に向かって進んでいく。主人公ジャニスは嘘を吐かず、寛容で他人の権利を尊重する立派な女性である。滅多にお目にかからないようなこの素晴らしい女性を、ペネロペ・クルスは見事に演じ切った。彼女の女優人生の代表作のひとつになると思う。
ところで、本作品には日本企業の協力があったようだ。登場人物が運転する自動車はスズキで、使うカメラはキヤノンと富士フイルムである。ハリウッドの娯楽作品ではなく、こういう文芸作品にお金を出すのは、文化協力としての企業の役割を果たしている。偽装請負はよくないが、他国の文化に貢献するのはいいことだ。