三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「すずめの戸締まり」

2022年11月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「すずめの戸締まり」を観た。
映画『すずめの戸締まり』公式サイト

映画『すずめの戸締まり』公式サイト

扉の向こうには、すべての時間があった―『君の名は。』『天気の子』の新海誠監督 集大成にして最高傑作『すずめの戸締まり』11月11日(金)大ヒット上映中.

映画『すずめの戸締まり』公式サイト

 新海誠監督のファンタジー映画は、宗教的、共同体的な色彩が強い。「君の名は。」ではヒロインの三葉は巫女だった。「天気の子」のヒロイン陽菜は異常な雨に対して人柱になろうとする。
 本作品でも「要石」というキーワードが出てくる。地の中にいる巨大なナマズが暴れて地震が起きないように押さえつけるという神道の「要石」のことだ。神道は巫女と祈りと生贄(または人柱)が伝説を構成する。茨城県の鹿島神宮の要石が有名で、表面に出ている部分は真ん中が窪んだ形の小さな石だが、水戸光圀の命で掘ってみると、7日7番掘り進んでもまだ全容を現わさないほど巨大で、流石の黄門様も掘り出すのを諦めたという話が伝わっている。

 本作品の世界観には、共同体を守る巫女や人柱が尊い犠牲という考え方に通じるものがあって、民主主義とは相容れない面がある。深海監督自身もそこまでは意識していないだろうが、代々受け継いできた神道的な精神性が、まだまだ残っているということであり、そしてそれを受け入れる風土が日本にあるということである。この国の精神性は第二次大戦の頃から少しも変わっていない訳だ。

 大抵の人は気づいたと思うが、すずめが初対面のダイジンにかけた言葉と、実家の付近をさまよった幼いすずめにタマキがかけた言葉は、同じ「うちの子」である。ダイジンはすずめによって意気消沈するが、同じくすずめによって元気を取り戻す。タマキも同じだ。そうして物語のはじめと終わりがひとつの環(わ)のように繋がる。タマキの漢字が環であることにも多分意味がある。

 地球の環境はいろいろな意味で一直線に悪い方向に向かっているように見えるが、誰かがみずから犠牲になって共同体を守ろうとするのは、間違っていると思う。もちろん誰かを犠牲にしようとするのも間違っている。みんなが問題に目を向けて、解決に向けて努力していかないと、人類に明日はない。
 見て見ぬふりをするその他大勢にも責任があるということを人類は自覚しなければならないのだ。しかし本作品のように善意の第三者ばかりが登場すると、責任の所在がぼやけてしまう。東日本大震災は自然災害だが、福島原発事故はアベシンゾー政権の不作為による人災だ。

 自己犠牲は往々にして美談とされ、自己犠牲の精神は美徳とされるが、それは人智を超えた悪魔や神の存在を前提にしている。現代では生贄は必要ない。自己犠牲は過剰反応であり、もっと言えばある種の精神疾患だ。共同体のために他人に自己犠牲を強いるのは、全体主義である。ヒトラーと同じだ。

 とても面白い作品であり、楽しく鑑賞は出来たのだが、その世界観に言い知れぬ危うさを覚えたのは、当方だけではないと思う。