映画「母性」を観た。
ちょっと頭でっかちな作品だ。廣木隆一監督は割と原作に忠実だから、演出というよりも、原作のせいかもしれない。同監督の公開中の映画「あちらにいる鬼」に比べると、やや深みに欠けていた気がする。
戸田恵梨香も永野芽郁も、大地真央も高畑淳子も熱演で好演だったが、誰にも感情移入できなかった。全員が鬱陶しい性格をしているのだ。映画「告白」も、同じように登場人物全員が嫌なやつだったから、やっぱり原作に厭世主義の底流があるのだろう。
永野芽郁の焼鳥屋のシーンが最悪である。自分が迷惑を被った訳でもないのに、隣の客に注意する。誰が見ても独善的で迷惑な女性で、本当に嫌なやつである。こんな歪んだ性格がどこから来たのだろうか、というのが本作品のテーマだ。
戸田恵梨香のルミコと永野芽郁のサヤカのモノローグによって、同一の出来事が違った見方として表現される。弁当箱を落とすシーン、その後の母娘の密やかな会話、そして嵐の夜のシーン。嵐の夜のシーンは、ルミコとサヤカのそれぞれが本当に求めるものを表現しているつもりなのかもしれないが、パニックの中での行動としてはリアリティに欠けていて、説得力がまったくない。
もっとも欠けていたのが、ルミコとサヤカの夫であり父親である男に対する感情である。まるで存在していないかのように扱われるが、ストーリーが進むときにこの男の意思や感情が関係しないはずがない。にもかかわらず力技で背景に押しやる。この男が関わらないから、人間関係が平板になってしまった。
メルヘンチックな自分の中だけの愛情に溺れて現実をシャットアウトする女たち。他人の気持ちを考えると言いながら、ただ他人に阿るだけの生き方。独りよがりの鬱陶しい女たちの群像劇を描きたかったのだとすれば、成功していると言えるだろう。
主題歌は作品に合わなかったが、劇中の音楽はとてもよかった。音響の効果がなければもっと陳腐な作品になっていたと思う。