映画「ザ・メニュー」を観た。
レストランは食材の様々な組み合わせを試し、調理法を試行錯誤する。最終的にテーブルの上に提供されるまでには多くの費用がかかっている。料理が商品として完成したら、そこから原価や人件費を下げる工夫をしていく。それが一般的だ。
しかし超高級レストランは全部価格に反映させればいいので、費用を削ることを考える必要がない。最高の食材、最高の酒、最高のお茶を準備し、スタッフを訓練して上質な接客を提供する。内装にも金をかけて、空調や照明器具を完璧に準備し、食事の環境を整える。それは商売というよりも、ひとつの美学である。完璧を目指す美学だ。
本作品は超高級レストランの中でも最高峰の店のひとつが舞台である。もちろん金持ち相手に限られるが、相手は高額であるほど高品質だと思いこんでいる。そこにシェフの不満があり、美学の満たされなさがある。
実は味覚は感覚の中でもかなりいい加減である。一流の寿司屋職人でも目を瞑って食べたら、魚種を判別できないことがあると、テレビで実験していた。いちいち判別して区別していたら、食べられない食材が増えて飢餓に陥る。口に入れたものが安全な食べ物かどうか、それさえ解ればいいので、それ以上は好みの話である。
しかし本作品のシェフの五感は特別だ。料理評論家を遥かに上回る。そもそも生半可な知識と技術しか持たない癖に、料理評論家やグルメを気取る連中が許せない。
そこで考えられたのが、今夜のメニューだ。ここに至るまでには、数多の試行錯誤があり、従業員教育があった。特に従業員については、シェフのことを神とまで崇めるほどのマインドコントロールが必要だった。理屈抜きで崇めさせる。それはもはや催眠術である。
そう、このレストランはカルト宗教の集団催眠の場であったのだ。そう考えれば、本作品の料理提供ごとのシェフの振る舞いも納得がいく。シェフは教祖であり、催眠術師である。従業員だけでなく客の精神も操ろうと目論んだのだ。
しかし緻密に計算された彼の世界に異分子が入り込む。予定外の客であるマーゴだ。催眠術が及ばないこの女性は、食べる行為は基本的には空腹を満たし栄養を補給することだとする常識人だ。料理至上主義者たちとは一線を画す。どうしたらこの女性に自分を崇拝させることができるか。シェフは美学の破綻をなんとか繕おうと躍起になる。
一方のマーゴはシェフの目論見を見極めて、状況の打開を図ろうとする。自分と他の客とで違うところは何か。自分はグルメでも料理評論家でも金持ちでもない。食べ物はあくまでも食べ物に過ぎない。美味しいに越したことはないが、価格とのバランスも大事だ。
シェフが恐れるのは、実はこういう普通の人の普通の感覚なのだ。そしてシェフは完璧主義者である。そこにこそマーゴが実行できる打開策がある。
本作品は見方を変えれば、異常な教祖であるシェフによって集団催眠に陥ったオタクたちと、ひとりの常識人との対決だ。ただし結果は勝ち負けではない。ある意味では、全員が役割を完遂したと言える。収束は見事だった。
エキセントリックなシェフを演じたレイフ・ファインズはさすがの存在感だ。映画「ハリー・ポッター」シリーズで闇の魔法使いヴォルデモートを演じたのが有名だが、その他にも映画「キングスマン」や「007」シリーズでも脇役としていい働きをしている。日本の俳優でいうと、小日向文世にどことなく似ている。本作品のシェフ役は意外な難役で、ファインズのポテンシャルが存分に発揮された感じである。