(21日の選挙)船橋市長に藤代氏 2009年06月22日 朝日
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000906220001
船橋市長選は21日に投開票が行われ、現職の藤代孝七氏(66)=自民、公明推薦=が、市民団体代表野屋敷いとこ氏(58)、元市議の門田正則氏(62)、共産党公認の仁木利則氏(57)の新顔3氏を破り、4選を決めた。当日有権者数は47万6千人。投票率は34・25%(前回31・12%)だった。
同市市場2丁目の藤代氏の選挙事務所には、開票開始の午後9時20分ごろから支持者らが集まり始めた。予想外の接戦に一時は重苦しい空気が流れた。午後10時半ごろ、当選の知らせが入り、拍手と歓声がわいた。事務所に現れた藤代氏は、支持者や市議、周辺市長らと握手した後壇上であいさつ。「(接戦は)不徳のいたす所だが、後援会のご尽力により、勝利を身にしみて感じる。市民に恥じない市長職を全うする」と喜びを語った。得票差がわずかだった点については、「ここまでは予想していなかった」と感想を述べた。
藤代氏は、多選の現職に挑んで初当選を果たした12年前の市長選で、自らの任期について「3期12年」と公約。今回立候補したことに対し、選挙戦では、各陣営から「公約違反」と批判された。さらに同市長選告示日に投開票された、千葉市長選で民主党推薦の全国最年少の市長が誕生したことが、多選の藤代氏にとって「逆風」になるのではと心配された。
しかし、自民、公明の推薦に加え、多選自粛方針の民主からも、県第4区総支部からという形で推薦を得た。さらに市議50人のうち40人近くから支援を受けるなど、新顔3氏に対し、組織力の大きさをみせつけた。
多選批判については「悩んだ末の決断。市民が判断されること」と、ひたすら12年間の実績を訴え、かわした。
一方、市民団体代表の野屋敷氏は、自民党を離党して政策集団「日本の夜明け」を立ち上げた渡辺喜美・元行革担当相や、河村たかし名古屋市長らの応援を受けて支持を伸ばしたが及ばなかった。落選が決まると、同市習志野台の事務所で、野屋敷氏は「皆さんに支えられ、いい戦いができたが、力及ばず投票率が上げられなかった。ここで船橋市民の良識を示していただきたかった」と無念の表情で語った。
船橋市長選 選挙結果
当67280 藤代孝七=無現<4>[自][公]
62627 野屋敷いとこ=無新
15971 門田 正則=無新
15483 仁木 利則=共新
千葉県船橋市は、県北西部に位置する人口59.7万人の県第二の人口を誇る中核市ですが、市長選は1997年から3期12年市長を勤めた現職の藤代孝七氏に対して、野屋敷いとこ氏、門田正則氏、仁木利則氏の3新人が挑む形となったのですが、3期12年の間に中核市への移行や駅南口の再開発、京成線の高架化を実現し、支援者の声に応えて4選目の出馬を決意した現職で自民・公明が推薦する藤代孝七氏が67280票を獲得し、『「市長は3期12年までの公約を破って出馬した現職は信頼できない」と現職の藤代氏を批判すると共に「庶民革命で助け合って生きる共生の船橋を作りたい」』と訴えて62627票を獲得した野屋敷いとこ氏、『「10%の市民税減税と保育料、給食費無料化は実現できる。市長退職金をカットし、予算の無駄をなくせば財源に問題はない」と訴えると共に、「船橋には全国から人が集まっている。その人たちが運営するアンテナショップを空き店舗に作りたい」』と主張して15971票を獲得した門田正則氏、『まじめに努力した人が報われる社会を作りたいと、特老ホームの増設など』を訴えて15483票を獲得した共産党系の仁木利則氏を破り4選を決めました。
こちらの選挙戦では、現職の藤代氏が97年当時に5選を目指していた当時の現職の多選批判を繰り広げ、「市長任期は3期12年まで」を公約に当選していただけに、多選批判をめぐる議論がどうなるかが注目されていたのですが、対抗候補の野屋敷いとこ氏は62627票を獲得してかなりの大善戦を繰り広げるも一歩及ばず。共産党が独自の候補を出すのは想定の範囲内としても、対抗候補をを一本化できなかったのが、野屋敷氏にとってはやはり痛かったでしょうか…。
ちなみに、藤代氏の場合、実の父親の藤代七郎氏も75年~81年まで2期6年市長を務めているだけに、他の地域以上にこの多選の問題は大きかったのではないかと思いますが、藤代氏には、この勝利を過信することなく、アンチ藤代票が過半数を占めたことを真摯に受け止め、次の4年間の市政運営を司ると共に、早急に後継者の育成に取り組んで欲しいと思います。
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000906220001
船橋市長選は21日に投開票が行われ、現職の藤代孝七氏(66)=自民、公明推薦=が、市民団体代表野屋敷いとこ氏(58)、元市議の門田正則氏(62)、共産党公認の仁木利則氏(57)の新顔3氏を破り、4選を決めた。当日有権者数は47万6千人。投票率は34・25%(前回31・12%)だった。
同市市場2丁目の藤代氏の選挙事務所には、開票開始の午後9時20分ごろから支持者らが集まり始めた。予想外の接戦に一時は重苦しい空気が流れた。午後10時半ごろ、当選の知らせが入り、拍手と歓声がわいた。事務所に現れた藤代氏は、支持者や市議、周辺市長らと握手した後壇上であいさつ。「(接戦は)不徳のいたす所だが、後援会のご尽力により、勝利を身にしみて感じる。市民に恥じない市長職を全うする」と喜びを語った。得票差がわずかだった点については、「ここまでは予想していなかった」と感想を述べた。
藤代氏は、多選の現職に挑んで初当選を果たした12年前の市長選で、自らの任期について「3期12年」と公約。今回立候補したことに対し、選挙戦では、各陣営から「公約違反」と批判された。さらに同市長選告示日に投開票された、千葉市長選で民主党推薦の全国最年少の市長が誕生したことが、多選の藤代氏にとって「逆風」になるのではと心配された。
しかし、自民、公明の推薦に加え、多選自粛方針の民主からも、県第4区総支部からという形で推薦を得た。さらに市議50人のうち40人近くから支援を受けるなど、新顔3氏に対し、組織力の大きさをみせつけた。
多選批判については「悩んだ末の決断。市民が判断されること」と、ひたすら12年間の実績を訴え、かわした。
一方、市民団体代表の野屋敷氏は、自民党を離党して政策集団「日本の夜明け」を立ち上げた渡辺喜美・元行革担当相や、河村たかし名古屋市長らの応援を受けて支持を伸ばしたが及ばなかった。落選が決まると、同市習志野台の事務所で、野屋敷氏は「皆さんに支えられ、いい戦いができたが、力及ばず投票率が上げられなかった。ここで船橋市民の良識を示していただきたかった」と無念の表情で語った。
船橋市長選 選挙結果
当67280 藤代孝七=無現<4>[自][公]
62627 野屋敷いとこ=無新
15971 門田 正則=無新
15483 仁木 利則=共新
千葉県船橋市は、県北西部に位置する人口59.7万人の県第二の人口を誇る中核市ですが、市長選は1997年から3期12年市長を勤めた現職の藤代孝七氏に対して、野屋敷いとこ氏、門田正則氏、仁木利則氏の3新人が挑む形となったのですが、3期12年の間に中核市への移行や駅南口の再開発、京成線の高架化を実現し、支援者の声に応えて4選目の出馬を決意した現職で自民・公明が推薦する藤代孝七氏が67280票を獲得し、『「市長は3期12年までの公約を破って出馬した現職は信頼できない」と現職の藤代氏を批判すると共に「庶民革命で助け合って生きる共生の船橋を作りたい」』と訴えて62627票を獲得した野屋敷いとこ氏、『「10%の市民税減税と保育料、給食費無料化は実現できる。市長退職金をカットし、予算の無駄をなくせば財源に問題はない」と訴えると共に、「船橋には全国から人が集まっている。その人たちが運営するアンテナショップを空き店舗に作りたい」』と主張して15971票を獲得した門田正則氏、『まじめに努力した人が報われる社会を作りたいと、特老ホームの増設など』を訴えて15483票を獲得した共産党系の仁木利則氏を破り4選を決めました。
こちらの選挙戦では、現職の藤代氏が97年当時に5選を目指していた当時の現職の多選批判を繰り広げ、「市長任期は3期12年まで」を公約に当選していただけに、多選批判をめぐる議論がどうなるかが注目されていたのですが、対抗候補の野屋敷いとこ氏は62627票を獲得してかなりの大善戦を繰り広げるも一歩及ばず。共産党が独自の候補を出すのは想定の範囲内としても、対抗候補をを一本化できなかったのが、野屋敷氏にとってはやはり痛かったでしょうか…。
ちなみに、藤代氏の場合、実の父親の藤代七郎氏も75年~81年まで2期6年市長を務めているだけに、他の地域以上にこの多選の問題は大きかったのではないかと思いますが、藤代氏には、この勝利を過信することなく、アンチ藤代票が過半数を占めたことを真摯に受け止め、次の4年間の市政運営を司ると共に、早急に後継者の育成に取り組んで欲しいと思います。