政治に物申すブログではあっても、色々なことを話題にしていると、私という人間が透けて見えてくるのではないだろうか。それだけに、根はサヨクではないかと批判されると、私も少しばかり考え込んでしまう。サヨク関係の本を読んできたことは否定できないからだ。しかし、現在の私は三島由紀夫に惹かれるのであり、それは的を射ていない。ただ、笑ってしまったのは、やっぱり私は会津人であり、幼い頃のものを引きずっているということだ。バナーへのクリックをお願いしますというのを、日によってクイックだったり、クリックだったりするのを、最近までまったく気が付かないでいた。一つには会津弁はアクセントがないので、クリックをクイックと、ついつい言ってしまうのである。もう一つは、幼い頃の私は、「り」と言えずに、「りんご」が「いんご」になってしまった。それがとんでもないヘマに結びついたのだ。文章を人の前にさらすというのは、恥をかくことだからしかたがないが、どんな人間であろうとも、生まれ育った風土や、過去の出来事を無視できないのである。私たちが日本人であるということも、それと同じではなかろうか。日本語を口にし、日本人の伝統や習慣を受け継いでいる限り、そこからは離れられないのだ。小林秀雄は「古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持ってない筈がないのです。インテリはそれを知らない、それに気がつかない人です」(『信じることと知ること』)と書いているが、日本を愛するというのは、そのことに気付くことではないだろうか。
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