私がコラムじみたことに手を染めたのは、まだ20代後半であった。会津若松市内にあった夕刊紙にスペースをもらって、勝手なことを書き散らしていた。そこには反骨の気風を持った書き手がいて、利権屋の木村守江県政とは真っ向から対決していた。県からの広告も一切拒否していた。小さな新聞で部数はそれほどでもなかったが、ある種のプライドがあったのだ。その意味からも、御用新聞と化した福島民報や福島民友にはガッカリする。今日の福島民友では、ワラビやコシアブラが県内の5市町で出荷停止になったことが、2段見出しの10行であった。福島民報にいたっては一段見出しであった。民主党政権や県に気を使っているのが見え見えである。さらに、目下、日本全体の最大関心事である福島第一原発4号機についても、福島民友は1段見出しで、わずか10行。それも東京電力の発表を載せただけだ。最悪4号機が倒壊し、放射性物質が噴き出せば、250キロ圏内は全て避難とまでいわれているのに、その程度の扱いなのである。環境省から広告がバンバン出ていることもあり、スポンサーには逆らえないとしても、それではジャーナリスト失格ではなかろうか。それでいて、できもしない除染に関しては、どんどん紙面を提供している。福島県民のことなどどうでもいいのだろう。4号機の記事が小さく紹介されていることについて、私の知り合いもかなり憤っていた。福島県民に信頼されなくては、誰も購読しなくなるわけだから、福島民報と福島民友は即刻目を覚ますべきだ。
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