福島第一原発による被害を、単なる風評と決めつけてよいのだろうか。カミュの『ペスト』(宮崎嶺雄訳)は、あまりにも福島の現状と合致していている。アルジェリア海岸の一県庁所在地以上の何物でもないオラン。そこで起きたペスト禍に、人々はなすすべがなかったのである。興味深いのは、ランスドック通信社の194*年4月28日の報道であった。まず第一報は約8千匹の鼠が拾集されたことを伝えた。そこで人々の不安は一挙に高まったが、翌日になると、今度は「この現象がぱったりとやみ、鼠害対策本部は問題とするに足りぬ数量の鼠の死骸を拾集したにすぎなかった」と打ち消した。同日の正午に最初の患者が確認され、4月30日には死亡した。それから2、3日の間に20名ばかりが類似の症例によって死亡した。まさしくバンデミック(感染症の大流行)の勃発である。そうなると「鼠の事件であれほど饒舌であった新聞も、もうなんにもいわなくなっていた」。パニックになることを恐れたのだ。当局もペストであることを確認するのに手間取った。責任ある立場の知事は、総督府の命令を仰ぐことで、責任を逃れようとした。オランの人々も事態が急変していることを認めようとしなかった。とんでもない悪魔が忍び寄ってきているにもかかわらず、「彼らは取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を抱いたりしていた」のである。福島もそうならないように、私は万全を期すべきだと思う。カミュの『ペスト』は、あたかも福島を舞台にしているかのようだ。
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