草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

福島を舞台にしているかのようなカミュの小説『ペスト』!

2012年05月23日 | 思想家

 福島第一原発による被害を、単なる風評と決めつけてよいのだろうか。カミュの『ペスト』(宮崎嶺雄訳)は、あまりにも福島の現状と合致していている。アルジェリア海岸の一県庁所在地以上の何物でもないオラン。そこで起きたペスト禍に、人々はなすすべがなかったのである。興味深いのは、ランスドック通信社の194*年4月28日の報道であった。まず第一報は約8千匹の鼠が拾集されたことを伝えた。そこで人々の不安は一挙に高まったが、翌日になると、今度は「この現象がぱったりとやみ、鼠害対策本部は問題とするに足りぬ数量の鼠の死骸を拾集したにすぎなかった」と打ち消した。同日の正午に最初の患者が確認され、4月30日には死亡した。それから2、3日の間に20名ばかりが類似の症例によって死亡した。まさしくバンデミック(感染症の大流行)の勃発である。そうなると「鼠の事件であれほど饒舌であった新聞も、もうなんにもいわなくなっていた」。パニックになることを恐れたのだ。当局もペストであることを確認するのに手間取った。責任ある立場の知事は、総督府の命令を仰ぐことで、責任を逃れようとした。オランの人々も事態が急変していることを認めようとしなかった。とんでもない悪魔が忍び寄ってきているにもかかわらず、「彼らは取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を抱いたりしていた」のである。福島もそうならないように、私は万全を期すべきだと思う。カミュの『ペスト』は、あたかも福島を舞台にしているかのようだ。

 
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不甲斐ない政治では昭和初期の悪夢繰り返すだけだ!

2012年05月23日 | 政局

 今の民主党と自民党を、政友会や民政党に譬える議論がある。昭和初期の日本は、政友会と民政党の全盛時代であった。しかし、議会政治が形だけ整っても、実態はそれにともなわなかった。いくら政党内閣の時代になっても、国民の意思が反映されるのは難しかった。それ以前に内閣が組織化され、官僚を通じての政治というものが定着していたためだ。それだけに、政党は現実に日本を動かすというよりは、権力獲得のために汲々としていた。そこに追い打ちをかけたのが、昭和2年の金融恐慌であり、昭和4年の世界恐慌であった。そうした経済状態が、政党政治の成熟を阻むことになったのである。中村菊男は『昭和政治史』のなかで、政党政治が没落し、日本が軍国主義に向かった背景として、「イデオロギーの役割は無視できないが、人間がそれとちがった次元で行動し、面子にとらわれ、感情によって動く面があまりにも多いのが政治の世界である」と書いている。かつての政友会や民政党が泥試合を演じたのも、非合理な動機や理由で行動したからだろう。現実の政治に目を転じれば、民主党政権は、まさしくサンドバック状態である。自民党に抱きつくことで、かろうじて政権を維持している。ここまでくれば即刻解散すべきなのに、党利党略に囚われているのだ。もう一度悪夢のような時代を引き寄せたいのだろうか。どうして過去の歴史から教訓を学びとらないのだろう。

 
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