草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国家を再構築するのは「天皇陛下万歳」を叫ぶ始原的パトスだ!

2012年05月04日 | 思想家

 大東亜戦争の敗戦以来、日本は国家であることを否定された。GHQの押し付けでしかない日本国憲法によって、自らを守ることすらも制限され、腑抜けと化してしまった。そして、大東亜戦争が世界の民族独立運動の引き金になったことまで、歴史の記述から抹消された。5月3日の憲法記念日とは、私たち日本人にとっては、屈辱の記念日でしかない。しかし、それでも、昭和の御世までは、天皇陛下を前に「テンノオー、ヘイカッ、バンザアーイッ!」と一人が叫ぶと、その声にあわせて、万歳を三唱する国民がいた。誰からも共生されることなく、そこで連帯感を確認したのである。石原慎太郎も、昭和43年に行われた、明治百年の行事に出席してそのような場面に遭遇し、自分が日本人であることに思いいたった。「マックス・ウェーバーがいうように政治家が政治家たり得る最大の要件が情熱とするなら、その情熱を醸し出す始原的な土壌について、私はあの時あの場で突然感知させられたともいえる」(『国家なる幻影・わが政治への反回想』)と書いている。石原は政治から足を洗うつもりで、その一文をしたためたために、小説家らしく、ミステリアスな「始原的な土壌」を問題にしたのだった。石原ばかりでなく、私たち保守民族派にとっても、それかあるかどうかが問われるのだ。今の日本の政治が右往左往しているのは、そうした一体感が失われつつあるからだ。外圧に抗するためにも、石原が主張するごとく、身構えるべき国家を再構築すべきだろう。そこにミステリアスなものが介在したとしても。

 
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母親を世話をするために脱藩した近江聖人中江藤樹!

2012年05月04日 | 思想家

 母の日は5月の第2日曜日だが、日本人から親孝行という言葉が失われたのは、いつの頃からだろう。近江聖人と呼ばれ、会津北部で絶大な影響力を誇った中江藤樹は、伊予で加藤家の臣として仕えていた。しかし、老いた母を思う念止み難く、ひそかに脱藩。母のいる近江の小川村に帰り、酒を売って母を養ったという。27歳のことである。平成の世に、そこまでする息子が何人いるだろう。親に生活保護を受けさせて、自分はのうのうとしている息子だっているのだ。私が感心するのは、保守民族派である四家正宮氏である。四宮氏のブログを読んでいると、さりげなく「午前は、母のお世話」と書かれている。そのブログは最近読み出したので、詳しいことは知らないが、頭が下がってならない。私にも80歳を過ぎた母親がいる。今日の午前中、買い物を一緒にした。子供の頃であれば、頼りにしていたのに、今では立場が逆転して、世話を焼くのは私だ。四宮氏のようにはいかないが、できるだけやってやりたいと思う。『新編会津風土記』や『日新館童子訓』では、孝行息子のエピソードが数多く紹介されている。会津藩は親孝行を奨励したからだ。それを封建の世の道徳とみるのは、とんでもない間違いだ。「親思う心に優る親心」と詠んだのは吉田松陰であった。苦労して育ててくれた親に、子供たちが恩返しをするのは、人間としてあたりまえの感情ではなかろうか。

 
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良し悪しは別にしてインテリが反日であるのは世の常だ!

2012年05月04日 | マスコミ評

 賢しら口をきく識者が多いこと多いこと。日本の学者の大半がそうではなかろうか。さらに、マスコミもそれに追随している。日本人としての人情など微塵も持ち合わせていないようだ。本居宣長の『あしわけをぶね』の一節は、そうしたインテリを冷笑しており、日本人としてまっとうなことを述べている。「さて人情と云ものは、はかなく児女子のようなるもの也。すべて男らしく正しくきつとしたることは、みな人情のうちにはなきもの也。正しくきつとしたることは、みな世間の風にならひ、或は書物に化せられ、人のつきあひ世のまじはりなどにつきて、をのずから出来、又は心を制してこしらへたるつけ物也。もとのありていの人情といふものは、至極まつすぐにはかなくつたなくしどけなきもの也」。人としての思いやりや情けは、女子供にこそ受け継がれているのであって、中途半端に学問のある連中は、うっちゃってしまっているのだ。今朝の朝日新聞の天声人語では「この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が反日のはずもないのだが」と書いている。抽象語を羅列しただけの文章であり、それこそ、賢しらな言論の典型ではなかろうか。書き手は高学歴で、海外特派員の経験もあるのだろう。しかし、人情については、女性や子供以下だと思う。つくろわない素朴な人情があれば、上から目線の言い方にはならないからだ。日本と書かずに、「この国」と書くあたりにも、インテリの嫌らしさがにじみ出ている。


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