草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国民があっての憲法であるのを忘れた安倍首相批判を嗤う!

2014年05月15日 | 思想家

 今の憲法の通り一遍の解釈を尊重して、日本がどうなってもいい。そんなことで政治が行われるべきではない。憲法において国民主権が述べられているのに、在住外国人にまで選挙権を与えようとしているではないか。憲法9条があったにもかかわらず、日本が平和であったのは、武装組織の自衛隊が存在したからであり、日米安保条約のおかげだ。まともな憲法学者であれば、法に縛られずに、それを突破する力が働くことを知っているはずだ。カール・シュミットの「憲法制定権力論」である。古賀敬太も『シュミット・ルネッサンス』で指摘している通り、憲法制定権力とは「憲法と並び、憲法の上に存在する」のである。とくに、シュミットはそれを『独裁論』(田中浩・原田武雄訳)で明確に述べている。「あらゆる国家的なものの根源的な力である人民、国民は、絶えず新たな諸機関を制定する。その権力の、かぎりなくとらえがたい深淵からは、国民がいつであれ破ることができ、かつ国民の権力がその中で決して確定的に限定されてしまうことのない諸形態が、絶えず新たに生まれてくる。国民がどんな好き勝手なことを欲しようとも、その意欲の内容は常に、憲法の規定の内容と同一の価値を持つ」。そして、それは左翼の考え方とも近いのである。法を突破して革命を語ることは、アントニオ・ネグリによって「構成的権力」として主張されているではないか。日本の左翼も今の憲法を守ろうとしているわけではない。特定アジアに身構えるような日本にならないように、憲法を利用しているだけだ。時の権力者の解釈変更を許さないというのは、あくまでも表向きである。自分たちが権力を手にすれば、都合のいいのように利用するのだ。安倍政権は日本が危機にあることを国民に示した。国民は自らの生命を守るために、憲法を突破することも考慮すべきなのである。

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中共の横暴に対処するためにも集団的自衛権の行使の容認を!

2014年05月15日 | 安全保障

 中共に対するベトナム人の怒りはすさまじいものがある。南部ビンズオン省の工業団地では中共系企業が襲われたほか、そのとばっちりで日系企業も被害を受けた。中共のやることは目に余る。ベトナムの船に放水や衝突を繰り返している。その映像を見たベトナム人がエキサイトして暴徒化したのである。どんな国民だってそこまでされれば、怒るのはあたりまえだ。南シナ海での緊張は一触即発になってきており、いつ軍事衝突が起きても不思議ではない。また、フイリピンも中共に神経をとがらせている。スプラトリー(南沙)諸島にあるジョンソン南礁で、中共が資材や土砂を搬入し埋め立てを始めたからだ。飛行場を建設しそこに軍用機を配備するのが狙いで、制空権の確保を目指しているのである。安倍政権が集団的自衛権の行使容認に踏み切るのは、横暴な中共への牽制である。それをしないで今の状態のままでは、必ず中共は日本に攻めてくる。それを防ぐには、日米同盟の絆を強化するしかない。日本防衛のために、自衛艦とともに出動したアメリカ軍の艦船が攻撃されたときに、それを放置しておけことは、同盟国としては絶対に許されない。反撃することができない日本のために、どうしてアメリカが血を流すだろう。やるべきことはやって、その上でアメリカに物を申すべきなのである。政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が今日、集団的自衛権行使などの憲法解釈見直しを提言する報告書を、安倍首相に提出する。それを受けて安倍首相は基本的方向性を国民の前に示すことになっている。日本の直面している危機の現実を、安倍首相は率直に国民に語りかけるべきだろう。

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