今の憲法の通り一遍の解釈を尊重して、日本がどうなってもいい。そんなことで政治が行われるべきではない。憲法において国民主権が述べられているのに、在住外国人にまで選挙権を与えようとしているではないか。憲法9条があったにもかかわらず、日本が平和であったのは、武装組織の自衛隊が存在したからであり、日米安保条約のおかげだ。まともな憲法学者であれば、法に縛られずに、それを突破する力が働くことを知っているはずだ。カール・シュミットの「憲法制定権力論」である。古賀敬太も『シュミット・ルネッサンス』で指摘している通り、憲法制定権力とは「憲法と並び、憲法の上に存在する」のである。とくに、シュミットはそれを『独裁論』(田中浩・原田武雄訳)で明確に述べている。「あらゆる国家的なものの根源的な力である人民、国民は、絶えず新たな諸機関を制定する。その権力の、かぎりなくとらえがたい深淵からは、国民がいつであれ破ることができ、かつ国民の権力がその中で決して確定的に限定されてしまうことのない諸形態が、絶えず新たに生まれてくる。国民がどんな好き勝手なことを欲しようとも、その意欲の内容は常に、憲法の規定の内容と同一の価値を持つ」。そして、それは左翼の考え方とも近いのである。法を突破して革命を語ることは、アントニオ・ネグリによって「構成的権力」として主張されているではないか。日本の左翼も今の憲法を守ろうとしているわけではない。特定アジアに身構えるような日本にならないように、憲法を利用しているだけだ。時の権力者の解釈変更を許さないというのは、あくまでも表向きである。自分たちが権力を手にすれば、都合のいいのように利用するのだ。安倍政権は日本が危機にあることを国民に示した。国民は自らの生命を守るために、憲法を突破することも考慮すべきなのである。
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