枝野幸男が官房長官だったときに、彼は何を口にしただろう。「ただちに影響はありません」ではなかったか。その枝野がこともあろうに、またもや寝ぼけたことを言っている。個別的自衛権では志願制でいいが、集団的自衛権が認められれば、必ず犠牲者だ出るから誰も志願をしなくなる。そうなれば徴兵制になるしかない。枝野の論理はそうなのである。弁護士らしい屁理屈だ。安倍首相が限定的であるのにこだわったのは、そんな意見が出てくることを、あらかじめ予想していたからだろう。枝野は福島県民を被曝させた責任を感じていないばかりか、意味不明なことを述べては、またもや世の中を混乱させようとしているのだ。国を護るためには、国民はいざとなれば武器を取るべきである。中共はベトナム国境に大軍を集結させており、懲罰行動と評して、見せしめに攻め込む可能性が強い。これに対して、ベトナムは一歩も引かない構えであり、そこは立派である。アメリカを撃退したベトナム人の愛国心は、今も変わらない。徴兵制を否定しようとは思わないが、そんなにたくさんの軍隊を持つ理由が日本にはない。それよりも社会への奉仕ということで、福祉施設で一年間働くのを義務付けた方がいいだろう。軍隊は専門的になっており、一年や二年程の訓練では、使いものにはならない。そんなことをしなくても、日本には消防団という組織がある。それを充実させて自衛隊や警察を補えばいいのである。さらに、自衛隊は軍隊として、栄誉の大権を天皇陛下から与えられるべきで、誰でもいいわけではない。死を厭わない集団として、ときには捨て石にならなくてはならないのである。現状の兵力を維持すれば、兵器の進歩で十分に対応できる。数だけ増やして無意味なのである。
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