吉本隆明がこの世を去ってから、サヨクの体たらくは著しい。嗤ってしまったのは、構造主義の日本への紹介者として解説本を書いた内田樹である。古いサヨクの理論を平気な顔をして述べている。「内田樹の研究室」のブログを覗いたら、人生相談なるものをやっていて、そこで自分の過去について語っている。同年代の私としては吹き出してしまった。「50年代の終わりは、いつ核戦争が起きて世界が滅びるかわからなかったし、60年代は世界中で革命闘争が展開していて、体制は全部崩れそうだったし、80年代はやけくそな蕩尽に浮かれていたし」と書いていた。内田はその程度の人間なのだろう。私は50年代に核戦争の危機など感じたことがなった。吉本さんが反核運動に批判的なことを言っていたように、あのとき騒ぎ回ったのはソ連の影響を受けた連中であった。60年代の革命闘争についても、嘘っぱちもはたなだしい。色々な党派の極左の人間とも付き合っていたが、誰一人として革命が日本で起こるとは思っていなかった。江藤淳はそれを評して「ごっこの世界」と呼んだのではなかったか。内田がユニークなのは「思いがけないことが起きて、時代ががらりと方向転換したのでした」と逃げるのである。そんなことはない。過去があって現在があるのであり、私などからすれば逸脱などはまったくない。そして、現在の政治の悪口を並べ立てながら、「国が破れても山河が残っている限りは大丈夫です」と結論付けるのである。もともとの前提があやふやであるばかりか、飛躍の連続なのである。優等生はいつもこんなものだ。ジャック・デリダの方はもっと政治に対して緊張感がある。やっぱり解説者は解説者でしかないのだ。
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