日本のマスコミの色分けがはっきりしてきた。読売新聞と産経はより現実的な立場を主張し、朝日や毎日、さらには東京などは、相も変わらずお花畑である。どこの新聞を読んでいるかで、まったく違った色眼鏡をかけることになる。しかし、それでいいのだと思う。様々な意見があって当然なのであり、全ての新聞が一緒の論調の方が異常なのである。一番わけがわからないのが、日経新聞である。日本の財界が金儲け優先であるので、そこに追随しようとするあまり、特定アジアの国に弱腰になっている。ネットが普及したおかげで、ほとんどの新聞の社説が読むことができる。比較できるのである。一方的な情報の垂れ流しで商売がやっていける時代は、とっくの昔に終わったのだ。日本の新聞の成り立ちは、そもそもは反政府運動のオピニオンとしてであった。福島県の場合は福島民報と福島民友の二紙があるが、福島民報は自由党の機関紙として創刊された。福島民友は自由党と袂を分かった河野広中が中心になったのである。大本営発表になるのは問題だとしても、日本の進路を誤らせることがあってはならない。サヨクにもっとも近く憲法擁護の急先鋒である朝日は、戦争中は鬼畜米英を一番煽った。コミンテルンの関与が疑われても仕方がなかった。日本の国防が対ソ連に向けられるのではなく、南方に目を向けることで対米英との戦争に持っていこうとした節がある。新聞を毎日買ってきて読むのは大変である。ネットでさらっと確認するのが手っとり早い。ヘーゲルは「新聞は日々の聖書だ」と書いていたように思う。時代の流れの証言者の役割りがあるからだネットの普及によって多くの人が情報を吟味するようになってきた。新聞が権威ぶって胡坐をかいていては、もはや通用しないのである。
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