会津といえば白虎隊である。「白虎隊が軍国主義に利用された」という人がいるが、それは一面でしかない。どうしようもない現実に直面すると、人は自分の死の意味を考えようとする。そこで登場するのが、死を美化することである。それは戦争ばかりではなく革命においてもそうである。かけがえのない命を捨てるには、共通した心理が働くのだ。それなくしては、従容として死に就くこともできないのである。時の権力者が白虎隊の精神を押しつけたわけではない。白虎隊を敵とした長州の萩市に地蔵尊堂があり、そこには白虎隊の自刃の図が掲げられている。白虎隊の剣舞や踊りは、全国で行われた時代があったのだ。危機なりせば、国民は精神を奮い立たせなくてはならない。そこで出てくのが、白虎隊精神なのである。「衆寡敵せず」にもかかわらず、敵に立ち向かった勇気を讃えるのである。大東亜戦争においては、それを受け継いだのが神風特別攻撃隊であった。体当たり攻撃は人間の限界を超えている。しかし、その記憶があるからこそ、歴史の事実として記述されているがために、今でも日本を侮ることはできないのだ。いかに戦後の日本人が腑抜けになっても、いざとなれば白虎隊の少年たちや、日の丸の鉢巻きをした特攻隊員のような若者が出現する。それを知っているからこそ、諸外国は日本を恐れているのである。郷土や国家の護るために身を捧げることは立派である。その覚悟が若者になければ国は滅ぶのである。「白虎隊が軍国主義に利用された」のではない。危機的状況においては、白虎隊の精神が日本人に求められるのである。
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