草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

天皇陛下への尊敬の念を持つ国民が過去最高に!

2014年05月19日 | 思想家

 日本が世界に誇るべきものは皇室であり、日々国民のために、自らを無にして御祈りを捧げておられる天皇陛下の尊い存在であられる。いかなる政治勢力にも利用されることもなく、超然としておられることで、国民は心の平安を保つことができるのである。戦前のように各家庭に天皇陛下の御写真が掲げられているわけではない。しかし、災害に見舞われたりすれば、真っ先に御出かけになられ、我々国民と悲しみを共にされる御姿に、日本国民は心を打たれるのである。NHK放送文化研究所が昨年10月に行った調査によると、天皇陛下に対して尊敬の念を抱いている人が過去最高の34%に達した。即位されて25年が経ったことや、東日本大震災での熱心な御活動があったからと見られている。それと同時に日本人は、日本人としての根本に、天皇陛下がおられることを、無意識のうちに感じているからだろう。明治天皇の御製に「わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ふり忘るなよゆめ」という御歌があられる。神を祭る古くからのならわしを忘れてはならぬ、「夢忘れてはならぬ」と御自らに言い聞かせておられるのである。そのならわしが行われなくなれば、日本は日本ではなくなるのだ。欧米流の立憲君主制ではない、もっと奥深い精神が日本には脈打っているのである。日本の古典といわれる書物は、古事記、万葉集から始まって、ほとんどが天皇陛下を中心とした記述がなされている。その大本を守ることこそが日本国民の使命なのである。とくに最近の日本の危機を思うときには、天皇陛下の御心にそうことがより大事になっている。西郷隆盛も「皇国の國體に歸れ」と叫び続けた。それをもう一度私たち日本人は思い起こすべきなのである。

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加藤紘一が属せし宏池会はリベラルにあらず池田勇人は天皇絶対!

2014年05月19日 | 政局

 だから自民党は駄目だったのである。だから日本派の政党が誕生して、保守を名乗る自民党に揺さぶりをかけなくてはならないのだ。赤旗の紙面に、元の自民党の幹部が次々と登場している。権力闘争に敗れた政治家は、晩節を汚すのが常だが、あまりにも異常ではないだろうか。彼らは一応に自民党内のハト派を名乗り、安倍首相の安全保障政策を批判している。しかし、彼らが自民党の中枢に陣取っていたから、北朝鮮の拉致事件もなかなか表沙汰にならなかったのである。そして、憲法改正も先送りされてきたのだ。世の中は宏池会と言えばリベラルと思っている節があるが、それはあまりにも一方的だ。池田勇人にしても、本当は経済優先主義者ではなかった。天皇絶対であり、臣下としての礼を尽くすのは、吉田茂と同じであった。池田の後を継いだ前尾繁三郎も、典型的な保守の政治家である。前尾を追い落とした大平正芳あたりから事情が変わってきた。中共に歩み寄るようになったのは、田中角栄と大平が盟友であったからだ。加藤紘一、古賀誠は恥を知るべきである。安倍首相はそうした古い自民党と、真正面から対決するしかない。影響力を失った彼らは、世の中からちやほやされたいのである。そこに共産党が付け込んだのだ。現在の自民党内にも、彼らの息のかかった政治家があまりにも多い。安倍首相を支えているのは、自民党の国会議員ではなく、ネットを中心にした国民の保守大衆なのである。自民党はとっくの昔に耐用年数を過ぎている。そこしかないのが日本の不幸なのである。日本派の政党が名乗りを上げれば、自民党だって今のままではいられないはずだ。

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