草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

エリートに気を遣うマスコミの交通事故報道を嗤う!

2019年04月21日 | 社会風刺

下々の者はちょっとした犯罪でも、すぐに顔写真が掲載され、社会的に葬られる。しかし、エリートは別なようだ。今回の池袋で発生した、暴走運転による死亡事故も、その典型である。肩書が旧通産省の御役人で、元工業技術院長、元久保田の副社長ということもあって、新聞記事などの扱いはかなり違っていた▼あの朝日新聞ですら、本名は出したものの、飯塚幸三さんと「さん」付けであった。いくら87歳の高齢であろうとも、この事故では31歳の母親と3歳の子供が亡くなっているのである。それなのに、どうしてそんな書き方をするのだろう。エリートだから、キャリア官僚から天下りができたのだろう。そして、庶民には考えられない金を手にしたはずだ。その上に手厚く保護されるというのは納得できない。人の命が奪われたのである。即刻逮捕されるのが普通だが、高齢で怪我をしているということよりも、過去の経歴が物を言っているのではないだろうか▼今の世の中はエリートが支配する社会ではあるが、彼らが幸福かどうかは疑問である。名も無き庶民を主人公にした山本周五郎は「貧しい人たち、貧しい生活の中には、ゆたかな人間性があり、はかることができない未来がある」(「季節のない街 舞台再訪—私の小説から」)と書いていた。足が地に着いた暮らしをしているのは、私たち庶民の方なのである。今の日本の政治が問題なのは、そこに目を向けないからなのである。

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「令和」のもとの序文を書いた大伴旅人は浪漫的抵抗者!

2019年04月21日 | 思想家

日本浪漫派の保田與重郎は心情の人であった。大阪高等学校の学生であった保田は、ロシア革命の共感を歌に詠んだ。「冬空のソビェット大使館の赤き旗若き女も泪流しおらん」。ソ同盟防衛を叫ぶコミンテルンを支持しているようにも解釈できるが、磯田光一は『比較転向論序説』で「ソビェットはむしろ孤独な心情が選びとった仮構」と解釈した。あくまでも一つの夢を歌にしただけであって、どちらかといえば、保田はアナーキストに近かった。「テロリストのかなしき宿命も思ひつゝ宰相の車に爆弾を打つ」という歌が、それを物語っている▼保田は『今日の浪漫主義』で「今日の場合は無意識に日本市民社会の実用主義とそのヒュマニティのデモクラシイに対し、僕らはむしろいデカダンをとるのである。今日の罪悪と欺瞞を知っているから過去の光栄を知っている」書いたが、今の時代は夢を紡ぐことすら難しくなっている。共産主義は手垢に汚れたイデオロギーであり、まともな人間は口にしなくなった▼そこで令和の御代の到来である。保田は『万葉集』を論じながら、「ことだま」の支配する世界が瓦解していったときに、大伴旅人は「逃避的ディレッタントになった」と断じた。浪漫的抵抗者であったがために、世を避けるようになったというのだ。その旅人の序文から「令和」に決まったということに、遠つ祖の思いがこめられているような気がしてならない。万葉集の「言霊の幸はふ国」を思い起こすことで、グローバリズムに身構え、失われた日本を取り戻すときなのである。

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司法を支配し独裁の強化を目指す文在寅は共産主義者だ!

2019年04月20日 | 安全保障

プロレタリア独裁というのは共産主義者が自らの独裁を正当化するための根拠になっている。マルクスが『ゴータ綱領批判』でそのことに触れており、資本主義社会から共産主義社会への移行の過度期には、それが許される書いているからだ▼韓国の文在寅大統領は、共産主義の信奉者なのだろう。三権分立を無視して、国会の同意のないままに、憲法裁判所の裁判官を任命した。これによって憲法裁判官の9人のうちの6人が文寄りの裁判官になるといわれる▼保守系の自由韓国党は猛反発をしており、今日はソウル中心部に1万人を動員して、文を弾劾する大規模な集会を開催することにしている。今回のことは、文の思想からすれば、当然予想された事態なのである。今の日本では、文政権を批判すると、すぐに「ヘイト」と決めつける人たちがいる。我が国よりも進んだ民主主義社会だと信じている識者もいる。しかし、実際には韓国は全体主義国家へと変貌しつつあるのだ▼それを阻止すべく、いくら韓国の最大野党がデモをしても、どれだけの影響力があるかは疑問である。一旦独裁が始まると、抵抗するのは難しくなる。過度期というのは方便であって、人々の自由は奪われ、全てが権力の監視下に置かれるのである。隣国が全体主義国家になれば、我が国もそれなりの対応をしなくてはならない。絶対に甘く見てはならないのである。

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共産党の票をあてにするような政党は消滅した方がいい!

2019年04月19日 | 政局

議会制民主主義は選挙が絶対である。当選するためにはどことでも組むという野合に走りがちだ。とくに支持率が心もとない立憲民主党や国民民主党は、共産党頼みである。野党が結束しなければ、選挙にならないのである▼そこで下手な動きをするのである。国民民主党の玉木雄一郎代表が去る18日、共産党の元衆議院議員で、今回は無所属で共産党推薦の宮本岳志候補の選挙事務所に顔を出した。宮本候補は衆議院大阪12区の補欠選挙に立候補したもので、玉木代表はお忍びでの激励ということで、反自民の野党共闘の一角を担うことをアピールしたかったのだろう。支持母体の旧同盟系労組は、反共が原則であるため、そうした不可解な行動にならざるを得なかったのだと思う▼共産党を名乗る限り、革命を目指していることは明らかである。宮本顕治の時代には「敵の出方論」の立場から、過激な行動を取るかどうかは、相手の対応次第だとの立場であった。不破哲三の今の路線では、それが撤回されたかのような印象を与えているが、共産党自体が秘密のベールに包まれており、幹部が選挙で選出されることもなく、その点では秘密のベールに包まれたままである。前衛党であることも否定しておらず、党名を変えるまでは断じて信用することはできない。今の日本の議会政治が漂流しているのは、与野党ともそんな共産党に気兼ねするからだ。選挙を優先するのではなく、自らの政策で勝負すべきなのである。

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天照大神に習って「人に成る」大切さ説いた森田康之助!

2019年04月19日 | 思想家

森田康之助の『日本思想のかたち』のなかに「人と成るといふこと」といった章がある。森田は「人が人として生を享けたというだけで、人が人と成ったとはいはないのである」と述べるとともに、「成る」ということの意味を解明しようとした▼そこで本居宣長の『古事記』の冒頭部分の解釈を引用するのである。「天地の初めて発(おこ)りしとき、高天原に成りませる神のみ名は」の「成り」に関して、宣長は「なると云ふことに三つの別あり、一つには無かりし物の生(な)り出るを云ふ。二つには此の物のかはりて彼の物に変化(なる)を云ふ。三つには作事の成終るを云」と説いている▼それを森田は「生成であり、変化であり、物事の完成を意味する言葉である」と簡潔に要約し、「人と成る」というのは「人間としての人格を完成するということにほかならない」と主張したのである。日々「人に成る」ためには努力が求められているのだ。子に対して親になるというのは「自己を完成すること」が前提なのである▼今の世の中は森田の願いに反して、どこを見ても「ならず者」ばかりである。それなりの地位を与えられても、努力して「人に成る」ことを怠っているのである、政治家や官僚が堕落したのは、その精神が失われてしまったからである。天照大神にしても「日の神としてみずからを完成せしめられた」のであり、その「みしわざ」に習って、私たちも研鑽を重ねなければならないのである。

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グローバリズムに屈した安倍首相は真の保守ではない!

2019年04月18日 | 政局

今の日本の政治家に求められるのは、コンセンサスではなく信念ではないか。サッチャーの功罪はともあれ、彼女は「私は信念の政治家です」と口癖のように言った。勝田吉太郎は『思想の旅路』において、サッチャーのその言葉を取り上げ、今の日本の政治家がコンセンスばかリ重視しているのを批判した▼私たちが保守政治家安倍晋三に期待したのも、そのことではなかったろうか。奇跡的な再登板を果しながら、政権が長期化するにつれて、次々と私たちを裏切るような政策を推し進めている。国家として身構えなくてはならないときに、グローバリズムに屈服するのは、まさしく愚の骨頂である▼欧米の社会を手本にして自我の確立のこだわる識者がいるが、その結果が人心の荒廃ではないだろうか。勝田は日本を「水墨画社会」と命名した。「水墨画はすみ一色の濃淡で描かれていて、ものとものとの境界線がぼやけている。このことは人間関係にも言えるのではないか」との見方を示したのだ▼自他の境界線を明確にするのが幸福であるかどうか、私たちは立ち止まって考えるべきだろう。安倍首相は「瑞穂の国の資本主義」を提唱していたのではなかったか。当初は日本の良さを生かした資本主義を模索するはずであった。しかし、目下推進しているのは、まったく逆のことである。竹中平蔵らの口車に乗って、逆に日本を貶めているように思えてならない。信念を曲げるのは変節漢である。そう呼ばれて安倍首相は恥ずかしくないのだろうか。

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圧倒的な不運が襲いかかる前に憲法改正を断行すべきだ!

2019年04月17日 | 思想家

今の日本は危機である。それを繰り返し言わなければならない。危機を乗り切るためにも、今すぐに憲法を改正しなければならないのである▼会田雄次は『決断の条件』でマキァヴェリの「運命の神は女神である。だから、これを組みしくためには、ときどき、なぐったり、蹴ったりしなければならない」との言葉を引用している。会田は「マキァヴェリの教えは、女性は力あるものを尊敬し、そういう人間には至って従順服従する性格を持っている。下手から出ればつけ上がるだけだということを前提としての発言だ」と解釈する▼運命の女神は気まぐれである。絶体絶命のピンチであろうと、そこで勝負に出れば、一発逆転もあり得る。会田は「決断の指針とは、圧倒的な不運が襲いかかり、甘受すれば死というとき、それが政治的運命ならば全力を挙げて反撃せよ。死中に活を得る可能性があるということである」と日本人に檄を飛ばしたのである▼東アジアで日本を取り巻く国々は、いずれも反日であり、中共、北朝鮮、ロシアは核武装をしている。一発の核ミサイルで何百万の日本人が殺されるのだ。にもかかわらず、我が国は交戦権を放棄している。自衛隊は正当防衛権を行使することしかできない。自民党は強引であろうとも、憲法改正を断行すべきであった。それが数による暴力といわれようとも、運命の女神を服従させるには、それしか手がないからである。令和にまで持ち越されるのは、自民党が不甲斐ないからなのである。

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黄色いベストはエリートとグローバリズムへの怒りだ!

2019年04月16日 | 思想家

フランスでの騒ぎはエリートとグローバリズムへの怒りである。フローラン・ダバディは、ニューズウィーク日本版の「フローランの日本文化論」というコラムで「『黄色いベスト』が求めるフランス第2の『革命』」を執筆した。昨年12月18日にはネットにもアップされた▼興味深いのは、フランスの黄色いベスト運動の参加者について、トランプ支持者との共通点に触れていることだ。エリートの特権に憤り、体制転換を求めているというのだ。それは昔流のリベラルや左翼のカテゴリーでは理解できない。彼らの生活レベルは中流である。外国人が入ってきて、自分たちの生活が脅かされることに危機感を抱いており、環境保護やグローバリズムのイデオロギーの信奉者ではない▼フローランの「黄色いベストたちは自分の居場所のことが心配なのです」との見方は的を射ている。ヨーロッパは過去の栄光を取り戻すのが難しくなっている。フランスとてその例外ではない。多民族国家が進んだフランスの未来は絶望的なのである▼同じ問題に直面している日本での解決策として、フローランは、多様な民族が日本でまとまる共通の目標を掲げるべきことを説き、日本人の美徳である「礼儀、連帯、謙虚さ、忠誠、勤勉」を挙げている。まさしく日本の保守が主張していることではないか。それを目の敵にしているのが、日本のリベラルや左翼なのである。

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東京大衆歌謡楽団の昭和の懐メロには日本の心がある!

2019年04月16日 | 世相

令和の御代が日本の国柄が見直されるきっかけになればと思う。今こそ浮ついた軽薄な風潮を改め、もう一度日本を取り戻すときなのである▼東京大衆歌謡楽団が野外ライブを開き、黒山の人だかりになっているのを知った。たまたまネットの動画で見たもので、高島四兄弟のメンバーはいずれも昭和のモダンボーイに扮し、ボーカルで長男の孝太郎が昭和の流行歌を直立不動で歌うと、聴衆も手拍子で応じていた。平成29年に結成されたというが、すでに日本コロンビアから『街角の心』を発売している▼グローバリズムの時代になって、団塊の世代や、それに連なる者たちにとっては、父母の世代が口ずさんだ歌は耳に残っている。それだけに「赤いランプの終列車」「梅と兵隊」「青い山脈」の演奏や歌声に懐かしさがこみ上げてくるのだ。孝太郎は出身地の富山でちんどん屋をしていたこともあり、大衆の心をつかむ術を知っていたのではないだろうか▼東京大衆歌謡楽団は去る4月8日には「名残の桜靖国神社奉納演奏」で、懐メロを奉納した。桜の下に集まった英霊たちも、笑顔で拍手をしてくれたと思う。そこでは「ラバウル小唄」も披露された。軍歌もタブー視すべきではないのである。私たちはここで立ち止まり、しんみりと昭和を思い出すべきではないだろうか。先人の喜びや悲しみの上に、今の私たちがあるのだから。

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「散華の精神」を嘲笑した進歩派を皮肉った高橋和巳!

2019年04月15日 | 思想家

日本人の情念を理解しなければ、革命など出来るわけがないのである。それを教えてくれたのが高橋和巳の『散華』である。林房雄も『文藝時評』で「高橋和巳氏『散華』の強烈な感動」と絶賛した▼高橋の執筆の動機の動機について、『文芸』に「一人の兵がタコツボの中で、むなしく死んでいく情景すら、その背後にその行為を正当化した理念とその歴史というものを、文学者の目でもっと見すえていなければならない」と書いたことに注目したのである▼大東亜戦争が政治指導者に日本国民が騙されたのではなく、死を甘受する何かが日本人にあったのである。高橋はそのことを直視したのだった。「本土上陸を少しでもおくらせようとする青年たちにとって、神風特攻、震洋特攻、伏竜特攻、さらには対空人間ロケット砲すら、みな一つの必然であり、自発的な志願で希願だった。各地で何の連絡もなく、同時にそれは、企画され、そして他ならぬそれに搭乗すべき青年たちの手によって、それらの兵器は改造され、建造され、試運転されたのだ」▼高橋は特攻精神を嘲笑した戦後の進歩派を痛烈に皮肉った。「ニヒリストの運動を媒介せねばならぬ革命」から目を背けているからだ。戦後民主主義はそれを否定してしまったのである。その抑圧された情念を解き放つことが、変革のエネルギーを爆発させることなのである。

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