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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 113 関東平定

2023年01月03日 18時39分02秒 | 貧乏太閤記
「なんと! 殿下、悪ふざけにもほどがありますぞ、某はそのような邪心一度も持ったことなどありませぬ」
「ははは、戯れじゃゆるせよ大納言殿」もういつもの柔らかで人懐こい秀吉の顔に戻っていた。
家康は背筋が凍った、当然ながら家康も秀吉に代わり天下を取ることをなんども考えたし、北条、伊達と組んで秀吉に対抗することも胸の中で思ったこともあるからだ、それ以後、家康は急進的な考えは捨てたという。

 4月には豊臣軍は完全に小田原城を包囲した、また北陸の別動隊も上州の全ての北条方の城を落城または降参させて、いよいよ武蔵(埼玉)に攻め込んだ
ところが箱根では唯一、韮山城だけが奮戦抵抗していた
攻めていたのは織田信雄の3万であったが、秀吉は信雄の力の無さに呆れて小田原包囲に配置替えした。
徳川3万を東に、北には秀次、秀勝兄弟、宇喜多、蒲生、織田信雄ら6万
西には池田、堀、長谷川、細川ら5万、そして石垣山には秀吉が陣取っている
海上も1万の水軍がびっしり固めて、ときおり砲弾を小田原城に打ち込む
早くも恐れをなした北条方の将、皆川が城を抜け出して降伏してきた。
直ちに豊臣方は皆川の持ち場である門を制圧した。
だが全体的にはほとんど戦はおこらず包囲戦が続くばかりである
秀吉も退屈して「京より淀と京極を呼び寄せよ、顔を合わせてはならぬぞ別々の日にいたせよ」と命じた、
さらに「利休を呼んで茶を楽しもう、能も見たい、囲碁の対局も良いな」などと言って名人たちをも呼び寄せた
さらに兵たちを楽しませるため商人を呼んで市を開かせ、遊び女も呼び寄せて兵がリラックスできるよう図らった。
時には箱根の温泉に淀君、京極殿を日を改めて連れて行って喜ばせもした
老境に入り、北条すら敵と思わぬ秀吉は、こうして戦さえ物見遊山の楽しみにしてしまったのだった。

 5月になるとついに伊達政宗が陣中に秀吉を訪ねてやってきた
その姿は死に装束の白づくめで家臣に磔柱(はりつけばしら)を持たせてきたという
「小僧、もう数日遅ければ望みのとおり、その磔柱に縛り付けられて死骸を諸将に晒すことになったぞ」
そういってから、政宗を許した。 若いのに芝居がかった伊達政宗に好感を持ったのだ、若いころの自分に似たところを見出したのであろう
但し、政宗はせっかく奪った会津40数万石を秀吉に取り上げられた。
秀吉が死んだあと、伊達政宗は徳川家康に臣従する、そして家康の六男忠輝に自分の娘を嫁がせることになる
その忠輝は後年、気性激しい故に、政宗と共謀して二代将軍徳川秀忠に謀反するのではないかと家康は疑って、忠輝の領地、越後高田80万石を取り上げて改易、信州に流す
松平忠輝はそこで92歳まで生きたそうだ。

 上州から武州へと南下してきた北陸軍に加え、石田三成、長束正家、大谷吉継など秀吉の若手奉行衆も関東に派遣されて、北関東の諸将、宇都宮、佐竹、大田原などを率いて北条方の城攻めに加わった
たいがいの城は、城主があらかたの兵を伴って小田原城に入ったので、家老や城主の家族が300,500の家臣で守る程度だからすぐに落城、またはすでに豊臣に降伏した北条方に説得されて開城するのが多かった
 そんな中で武蔵の鉢形城と忍城の二城は頑強に抵抗を続けた、伊豆の韮山城を加えると北条方の支城では、この三城だけが強い兵であったと言える。
鉢形城は北条氏邦が500で守る(埼玉県寄居町)、攻めるのは上杉、前田、真田の3万
忍城は(今の埼玉県行田市)城代の成田長親が500の兵と3000の農民で守った、攻めるのは石田三成、長束正家ら25000
この攻防は先年映画「のぼうの城」を見るとよく理解できる。
鉢形城は3か月持ちこたえて6月半ばに説得されて開城、忍城は水攻めされても守り抜き、小田原城が落城した7月6日後も2週間降参せず、7月20日ようやく小田原城に居た忍城の城主成田氏長が説得してようやく開城したのである。
北条方で最後まで守り切った城である。
伊豆の韮山城(北条氏規)も6月下旬まで持ちこたえて説得されて開城した。
いずれの城も10倍の敵を防いだのだった。
秀吉は忍城の姫、甲斐姫を側室として連れ帰っている。
結局、北条は小田原城に籠って小競り合いをしただけで、豊臣軍の圧倒的な兵力に怖気づいて3か月余りで降参した。
大将の4代北条氏政、弟北条氏照が切腹、5代当主の北条氏直は舅の徳川家康の願いで一命は許され、高野山に送られ2年後に死んだ。
韮山城を守り抜いた北条氏規は秀吉もその武勇を認めて許した、氏規は北条一族では唯一領地を安堵され小大名として残り、子孫は徳川に臣従して1万数千石の大名として明治維新まで続いた。
北条も徳川家康や毛利輝元、島津同様に早く秀吉に臣従すれば、もしかしたら天下人になることもあったかもしれないし、すくなくとも大名として明治まで生き延びる可能性は大きかった。
200万石と言われる関東の地が空いた、それに伊達政宗から取り上げた会津42万石、秀吉にとって家臣たちに大盤振る舞いをするには最高の土壌を手に入れたことになる。
秀吉は、そのまま下野まで攻め込んで那須氏ら小田原攻めに参戦しなかった大名を取り潰した、翌年には葛西一揆などをきっかけに奥州まで攻め上り、完全な国内平定を完成させた。
秀吉が真の天下人となった瞬間である、秀吉は1年前から北条滅んだあとの国内運営を考えていた
大大名の扱いについてである、徳川家康がなんといってもこれからの秀吉にとって怖い存在となる、今までは懐柔に努めてきたが、それをやっている間は絶対君主とは言えない。
北条の跡地に250万石と言う広大な領土を与えて先祖代々の土地、三河から離すことで三河武士の誇りを失わせることを考えたのだ
城は武蔵に新たに築くように命じた、武蔵は江戸湾が迫り川が幾筋も流れ込んでいて氾濫することもしばしばである
これらを抑え込んで城下町を作るには、今まで家康が蓄えてきた軍資金までもつぎ込まなければならない、財政基盤を弱めることも狙いであった。
「秀吉め、それほどまでに儂が恐ろしいのかのう」家康は腹心の本多正信に問いかけた
「殿、そう嘆かれますな、これは我らが天下を秀吉から奪う絶好の機会でありますぞ、太閤自らわれらに機会を与えたのでござる」
「ふむ、そうとも言えそうじゃ」
「そうでござるよ、われらが何をしようが京、大坂ではなかなか情報が届きませぬ」
「そうじゃのう、此度の秀吉の仕置きには不満を持った者共も多いようだ、特に信雄様は未だに秀吉より上だという錯覚が消えておらぬから、これは面倒なことになりそうじゃ」
「いかように審判を下すかで、関白の心が図れますな、未だに織田への忠義心が残っているのか、皆無なのか」
「織田旧臣に遠慮が残っているか、いないかもわかる」
「その通りでございますな、我らはこの際、江戸と言う国を使い勝手の良いように作るのも、これからの天下取りの準備となりましょうぞ」
「まだまだ未開の地じゃ、どのような宝が埋もれているか楽しみじゃ」
「太閤は此度の戦続きでいささかお疲れ気味かと」
「いやいや、新たな妾を得るほどであるから、まだまだ健在じゃ、儂は秀吉より若いゆえ急がずじっくりとやらせてもらう」
「そうでございますな、世の移り変わり、秀吉の家臣の動き、外様の動きをしっかり見極めて敵味方を知るのも大事な仕事でございます」
「そうじゃ、まずは信雄様の処置を見るのが先決じゃ」
世の中が定まった、徳川家康から見れば有力な秀吉の後継者は見当たらない
自分が秀吉より長生きすれば、(天下を従える力があるのではないか)
そんな気持ちも起きてきた、本多正信などは既に家康を「天下人」と言ってはばからない。



2023 初夢

2023年01月03日 07時58分57秒 | 宇宙.神秘
意識したせいか、今年の初夢は見たし、半分くらい内容を覚えている
ちょっと漫画チックな初夢でどうなんだろうと思うが、過去にも何度も見ているシリーズ的な夢だった・・・ゴジラの夢

ストーリーを言えば、私がゴジラに追いかけられて逃げ回る夢
本当に怖い、究極の鬼ごっこだ、幸いに放射能攻撃は無いので、離れていれば安全だが、油断していると突然現れるので怖いのだ。
今まで見た、ゴジラの夢と違ったところは、何と下から見上げた大きさだ、スカイツリーくらいはありそうだから、身長500mくらいか、今まで見た中では最高の大きさだ。
それから、危なくなると助けてくれるアイテムがある、それが何かは覚えていない、ラドンのような気もするし、お守りのお札のような気もするがわからない。
それがある間は、ゴジラは私に近づけないのだ。
もう一つ、「我々は」ゴジラのお腹の中に大きな石を何個も入れて、縫い合わせて海に沈める作戦を行ったが、そこで目が覚めた。
一体、どんな意味がある初夢だったのだろう、スリル満点であったが。
しかし72歳にもなって、まだこんな夢をみるか? 夢の中の私は完全に小学生に戻っている。

国内版「ゴジラ」は今年は11月3日に30作目新作が上映されるそうだ。