9月に入って朝鮮北部(主に現北朝鮮)は落ち着いた、しかし日本軍にとって手薄な南部は問題である釜山に戻った石田三成に秀吉から命令が来た
「停戦の今のうちに晋州城を攻め落として羅州を占領せよ」と言う
無傷の九番隊(秀勝.細川隊)、七番隊(毛利輝元)に役目が回ってきた
細川忠興を総大将にして2万5000の大軍で攻め寄せた、守るのは朝鮮軍将、金時政率いる5000だ、この戦は錦山城戦と全く同じ流れであった、「義兵長」郭再祐が2000の義兵を率いて後方かく乱を行って、城兵を助けた
義兵到来に備えていた攻城軍の毛利隊の一部が攻撃に行くと、横合いから政府軍の後詰が攻撃を仕掛けたので、毛利隊は乱れた
その間にまたしても兵糧が襲われたのである、これに勢いを得た籠城軍は大将金時政自ら打って出た、不意を突かれた細川軍は被害を出した
勝利した朝鮮軍は意気揚々として城に戻ったが、その時、銃弾が一発、金時政の太ももに命中した。
兵糧を焼かれた細川軍は結局撤退した、錦山城攻めに続き、またしても城攻めに失敗したので秀吉は怒り狂った
明との戦は休戦したが、結局戦そのものは継続していた、秀吉は母の遺言であれ、帝の命令であれ、もはや自分自身を止めることが出来なくなっていた。
しかしである、「因果応報」、母と上皇への誓いをも破って戦をやめると決めながらますます、のめりこんでいく秀吉に神は罰を与えたのだろうか
「殿下、朝鮮の石田様からです」その手紙を読んだ秀吉の手が震えた
「しまった! またやってしもうた」
養子の豊臣(小吉)秀勝が巨済島で病死したという便りであった
小吉秀勝、秀吉の姉の子で関白秀次の弟だ、秀吉の子や養子では三人目の秀勝である。 最初は「ふじ」との実子、二人目は信長公からいただいた小吉秀勝、そして小吉秀勝、いずれも若いうちに亡くなった
他にも淀との間に出来た実子の鶴松も3歳で死んだ、子供運に恵まれないのは秀吉の生まれた星のせいなのだろうか
わずか3か月の間に、母と養子を亡くした秀吉の心中はいかがであったか
しかし最初に決まっていた婚約を秀吉の圧力で破棄され、新たに秀吉から与えられた夫、秀勝を失った「江」(淀の妹)の気持ちは秀吉の比ではなかった
京で夫の訃報を聞いた「江」はふさぎ込んで寝込んでしまったという
名護屋に居て、秀勝の死を聞いた淀は秀吉に
「江の気持ちを思うと、ここでゆっくりとはしておれません、私が都に戻って江に付き添ってやりたいので、どうか都へ戻ることをお許しください」と言った
秀吉も姉妹の情として当然であると、これを許し「儂も行きたいところであるが、母の葬儀で往復したばかりじゃ、朝鮮も今が正念場だから日を改めて追うことにしよう、そなたと共に警護を兼ねて秀保(秀勝の弟)と大野治長に送らせる、秀勝の遺灰も持たせるから、京で秀次と相談して仮葬儀を執り行うよう申し付けておこう」
こうして淀は名護屋を後にした。
これで秀吉の後を継ぐ候補としては、関白秀次が99%決まったに等しい
秀吉は加藤清正が送ってくれた虎の生き胆などを食べて、励んでいるが、鶴松以後、淀も京極も妊娠の気配がないのであきらめの方が強くなっている。
「わしも老いたか、もはや自分の子に天下を受け継がせることはできないのか、天下を得て何んでも思い通りと思ったが、そうではなかった」
秀吉の落胆は戦況にも影響する、休戦中とはいえ朝鮮の動きは油断できない
だが相次ぐ不幸に秀吉の気持ちは沈んでいる
「明は停戦を受け入れたのに、なぜ朝鮮は受け入れぬのだ」いら立ちが募る
「そうだ秀勝が死んだからには美濃岐阜城が空く、誰ぞを入れねばならぬ、治長(大野)か三成(石田)がよいか?・・・今は簡単には決められぬか」
いろいろな問題が出てくる、三成もいない、大野治長も淀に付けて京にやった
身近な相談相手がいない
「前田利家も老いたし、徳川では腹を割った話が出来ぬ、こんなとき小六殿(蜂須賀正勝)か官兵衛がおれば気もまぎれるが」
黒田官兵衛は息子の黒田長政と共に朝鮮に渡っていたが、小西行長と加藤清正が水と油で双方から苦情を持ち込まれ、自分の思い通りの戦にならぬことに嫌気がさして、秀吉に訴えて帰国して豊前に籠っている。
蜂須賀小六こと蜂須賀正勝は秀吉の青年期からの長い付き合いで、出世の足掛かりになった男であった、一時は秀吉こと藤吉郎の雇い主でもあったのだ
心を許せる数少ない男であったが、6年前に60歳で亡くなり、今は朝鮮に渡っている息子の、蜂須賀家政が家督を継いでいる。
「ううむ たまらぬ、この寂しさは何なのだ」誰にも話せぬ胸の内に苦しむ秀吉を、誰が想像できようか
この寂しさの大半は、母と鶴松と秀長を相次いで失ったところからきているのだと思った
「こんな時は竜子に限る」秀吉は京極殿の屋敷へと向かった、唯一心が休まる場所だった、竜子は利口だ、いつでも秀吉の今の気持ちを理解して、それに合わせて対応できる女性であった。
「儂はこの頃、夢ばかり見ているのじゃ」
「どのような夢ですか」
「秀長が、儂にあれこれ注文ばかり付けて、うるさくてかなわぬ夢なのだ」
「それはまた」
「だがのう、そのうるさい注文を聞いているとなぜかやる気がわいてくる、心地良いのじゃ」
「秀長さまはいつも殿下を慕っておられましたから、夢に出てこられるのでしょう」
「誰ぞかが申して居った、夢に出てくるのではなく、自分の魂が会いたい相手の魂に会いに行くのじゃと」
「そうなのですか、それで私はいつも殿下の夢を見るのですね」
「そうか、儂の夢を見るか」「はい」
「そうか そうか 愛い奴じゃ竜子は」ようやく秀吉の憂鬱は消え去ったようである
愛する者たちが次々と去っていき、50代の秀吉の孤立感は増すばかりだ
まだ中級武士であった頃は野武士から旅の僧、行商人、旅芸人、得体のしれぬ者まで、いつも秀吉の屋敷に集まって来たものだ、風通しが良かった
それで諸国の情報を織田家中の誰より早く仕入れて活用し、信長に重宝されて出世したのだった。
今では、大名さえ秀吉の権威を恐れて気安く話そうとはしない、それが出来たのは秀長と大政所と、ねね、それと利休、小六くらいであった
前田利家でさえ家臣となった今、諫言は一切言わなくなった。
だが母と弟秀長、小六は死に、利休は自らの手で殺してしまった
今、こうなってみると京極殿、淀殿の二人だけが心を癒せる場所となった