神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 116 豊臣秀長死す!

2023年01月06日 17時13分08秒 | 貧乏太閤記
「小僧!言い分けなどいくら申しても無駄じゃ、悪あがきをせず正直に罪を認めよ、今ならば斬首は許して切腹をさせてやろう、どうじゃ」
「ははは、殿下、このようなこともあろうかと拙者は日頃より心掛けておることがあります、まずは大崎が届けた書状をご覧くだされませ、それは拙者のまぎれもない真筆であります、花押は鶴を模したものでありまする
目のところを良くご覧ください、針で穴を開けてあります、某が用心の為に人知れず行っておるものです、いかがですか」
秀吉は南蛮人からもらった虫眼鏡で花押を見た
「なるほど、穴が開いておる、それではそちらを見せてみよ」
扇動状も見た「ふむ、なるほど、こちらには穴がないのう・・・ふうむ」
「これで鶴の目も、これを限りにまた新たな手を打たねばなら無くなり申したが、疑いが晴れれば役立ったというものでござります」
「ふふふ、政宗よ これで疑いが晴れたなどと思うなよ、限りなく灰色の無罪といたそう、命びろいしたのう、しばし都見物してから帰国するがよい
大崎には年が明けたら旧領を安堵すると申しておくがよい」
こうして政宗は窮地を脱したのである。

 こうして秀吉の新しいスタート天正19年(1591)が始まった
ところが正月早々に痛恨事が起こった
大和郡山城からの急使が聚楽第の秀吉のもとに息絶え絶えでやって来た
「この文を至急お目通しください」
小姓の手から、秀吉に渡された文を読むうちに秀吉の顔が青ざめて、手が震えだした」
「何事でございますか」三成が聞いた、傍にいる黒田官兵衛も心配顔で見ている
「何ということじゃ、何ということじゃ、このようなときになぜじゃ」
「いかがされたのですか」官兵衛も聞いた、ただ事ではなさそうだ
「秀長が、大納言が死んだ! そんなバカなことが」声を絞り出した
「儂がここまでやってこれたのは、半分は秀長のおかげじゃ、あやつが居なければ儂は天下を得ることなどできなかった、なぜ儂より先に死ぬのだ」
泣き声に代わっている、恥も外聞もない、泣き声はどんどん大きくなって、鼻水も流れ出して顔はくしゃくしゃになっている
「おかかをここに呼べ」秀吉は小姓に命じた
すぐに政所と大政所が連れ立ってやってきた、血相が変わっている
「おまえ様、秀長殿が・・・・」
「まことじゃ、まことに秀長は死んだ、こんなことがあるか」
秀吉は周りの人目もはばからず、政所ねねの膝に崩れた、崩れたまま泣いている
「おまえさま、いくらでも泣きなされ、いくらでも泣きなされ」
大政所も「なぜ死んだのじゃ、秀長は本当に死んだのか」と叫んだ

羽柴秀長、秀吉の3歳年下の弟である。 兄の出世で中村で百姓をやっていたが呼び出されて武士になる
もともと才覚があったのか、兄秀吉に忠実に仕えてその才能を開花させていった、性格は温厚で、せっかちな秀吉をうまくコントロールして、大名たちと秀吉の仲をうまく取り持った。
司令官としても落ち着いた采配を振って味方の勝利に大いに貢献した
冷静であり、物事を良く考えて和を尊ぶ人であったから、上は公家衆から下は領民までみな秀長に親しんだ。
徳川家康さえ秀長には少しの疑念も抱かず、親しんだという。
とかく失敗が多い甥の秀次をも、怒る秀吉との間で取り持ってやる優しさも持っていた
秀長の死は、秀吉にとって大きな痛手となった、52才であった。

 秀長の死の悲しみは秀吉の心に多少なりとも変化を与えた、さらに近頃は鶴松も咳き込んだり、発熱することが多くなって心配の日々である
そんなことが、この天下人の心を不安定にしている
何かしていないとたまらない、それはいろんな方面で現れたが、もはややるべきことの全てをやりつくし、手に入らぬものはない立場になっても
秀吉を常に後ろから背中を押し続ける何かが居るようで心が休まらない
「何をすれば・・・」

 秀吉は昔、織田家の将校となった証に、信長より茶の湯を行える許可をもらった、特に戦場に身を置くことが多かった秀吉は、すっかり茶の湯にハマった
忙しい人ほど、ゆっくり時間が流れる魚釣りが趣味になるのに似ている。
人を大勢殺す武将が、心を静めゆったりとした時を過ごすのは理にかなっている、そんな時間が無ければ、彼らの魂は救われないであろう。
 秀吉がほぼ天下を手中にしたころ、茶道の世界で最高峰だった千利休(宗易)を師匠として招き師事した。
当初は素直に学んでいた秀吉であったが、「詫び寂び」茶の道を追求し続ける利休と、せわしい茶を好む秀吉は正反対で次第に心が離れていった
秀吉の茶は、その権威を見せつけるためのもので聚楽第の中に黄金の茶室を作って、訪れた者たちが驚くのを楽しむようなところがあった。
一方、利休は粗末なものを用いても、その中に仏の小さな光の宿るのを見つけて楽しむようなところがある。
あるいは静けさ、あるいは質素の中に幸福感を見出すような、そんな世界を好んだ。
利休と秀吉の映画を見たことがあるが、茶室に続く通りに朝顔の咲き誇る、生け垣があった、明日の朝は一斉に花開くというとき、秀吉は、その見事さを想像して心を沸き立たせた。
翌朝、どれほど見事に咲いたかとワクワクして、そこにやって来た秀吉は愕然とする
そこには一輪の朝顔も無かった、すべてが刈り取られていたのだ、それをしたのは利休であった、そして茶室の中には、たった一輪だけ残した朝顔が活けられてあった。秀吉の落胆は見るのも哀れであった
これが利休の茶道の精神であり、華やかさを求める秀吉との違いであった。
秀吉は茶室で利休を上に置き亭主とし、茶をいただきながら招いた武士との語らいをするのが常であった
中には機密を語ることがあったが、秀吉は利休が空気であるかのように気にしたことがない、むしろ利休に聞かせることを楽しむような感じであった。
利休もそれを承知で、一切余計な口出しもせず、茶室の中の密談を誰一人にも漏らすことはなかった。
それほど秀吉が利休を信頼していたという証である・・・・なのに
秀長が死んで三か月後の四月に、利休は秀吉の命令で聚楽第の中の、利休屋敷で切腹を命じられて果てた、その首は京都市中に晒されたのであった。
秀吉の愛情が憎しみに変わる、最初の事件であった、この頃から秀吉の心中に暗い影が宿る様になってきた。
そんな8月、臥せりがちだった鶴松の容態が急変した
「鶴松君が!」秀吉の政務所に小姓が駆け付けた、秀吉の脳裏に15年前7歳で死んだ最初の秀勝(「ふじ」との子)が浮かんだ、不安になって駆け付けた
そこには熱にうなされて、胸で大きな息をしている鶴松の姿があった
秀吉は「大丈夫なのか! どうなのじゃ」とうろたえて医師に言うと、医師は黙って首をうなだれた。
「馬鹿者! 医者であろう、何が何でも直すのじゃ、苦しがっているではないか、何とかせよ」
しかし、医師は見守るしかできなかった
「医者がダメなら祈祷じゃ、都中の寺院に命じて回復の祈祷を行わせろ、今すぐにじゃ」小姓が慌てて駆けて行った。




雪国から青天の信州へ

2023年01月06日 09時59分22秒 | ドライブ
この季節、気持ちが沈む雪国の灰色の空が大嫌いで、少し無理しても青空を見に行く。
青空を見るためには海岸部より遥かに雪が多い県境を越えなければならない、富山/岐阜、新潟/長野、どこも冬は難所の峠越え、しかも標高が高いから午前中は凍った坂道で危険極まりない
スタッドレスなんかで安心していられない、ブレーキを踏むとロックオンされてそりの様に滑って停まらないこともある。
昨日は、白馬から美麻の三叉路に至る長い坂を下り。交差点手前でブレーキを軽く踏んだが滑って停まらない、速度は5km以下なのに止まらない
前の車は停車しているが、ゆっくり迫っていくし、雪国では何度も経験したことだから特別焦らないが、やっぱり焦る、少し頭を右に振って、ぎりぎり止めることができた。 後続車もドキドキしていただろう、道を譲った。
スパイクタイヤならこんなこともないが、もう30年位前に粉塵公害で禁止になったが、あれは強力だったね。

海岸部の8号線は晴れ間も見えていた朝だった
富山の朝日町から、新潟の直江津までは70kmにわたり、トンネルとスノーセットで雪の恐れは少ないので助かる。
148号も長野県小谷村までは30kmほどの区間トンネルが切れ切れに続き、割と雪に強い、怖いのは露出した坂道区間だ。

R148 新潟側根知、小滝が雪世界、降っている、引き返そうかと思うほど暗い

トンネルを抜けて県境平岩では明るくなってきた

長野小谷村、雪は先週より多い





白馬村、雪多いが薄曇り



オリンピック道路から長野市内へ入る エムウェーブから18号バイパスへ
長野市はほとんど雪が見えない、だが外へ出ると寒い
車の中にいると温室効果で汗ばむほど、冬の間は青空の下で暮らしたいと思う
毎年思う

中野市から高原ラインへ、眩しい程の快晴

三水村、信濃町へと軽快に



妙高 また越後の灰色に



上越道、上越インターすぎ、高速もみぞれ雪が積もる
塩カルで窓ガラスが白くなる